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1 主人公は、幕末にオランダに鋳造技術の職方の留学生として渡ったが殆ど無名に近い中島兼吉である。 まずいつものように、あらすじを書いておこう。 幕末、日本の沿岸部は外国の脅威にさらされ、海防が叫ばれた。 上野寛永寺の某院の寺侍の三男に過ぎなかった兼吉だが、江戸の蘭学塾で西洋流鋳造技術を学んだ事が幸いして、大砲を自前で造ることを目指した越後高田藩士中島家に養子縁組させ、鋳造家として雇い入れられる。 藩費で緒方洪庵の適塾でも3年間学ばせてもらい、江戸に帰省後まもなくにして、今度は幕府から職方としてオランダに留学するよう命じられる。 同時に渡航する留学生の主な者たちは、直参であったが、大砲鋳造についての適当な技術者が直参に見当たらなかったので、兼吉が選ばれたのだ。 文久2(1862)年に彼は、榎本釜次郎(後の榎本武揚)や西周助(後の西周)、沢太郎左衛門らとともに、オランダへ留学生するため江戸を出港する。 因みに榎本の場合は、幕府がオランダに近代的大型軍艦(後の開陽丸)を発注しており、それを運転出来るように機関学の習得が目的であった。 他にも挙げると、伊東玄伯や林研海は西洋医学の習得、津田真一郎や西周は法律・国際法・財政学・統計学の習得、等々。 彼らは明治以降、日本の近代化を支えた者たちであった。 兼吉は、慶応3(1868)年3月、まさに幕府が倒れる間際に帰国する。.... この小説では、 清国などのように列強に蚕食されぬよう、西洋の最新技術や近代社会システムを導入し、強い国家を作ろうと使命に燃えた留学生らが、時には細かいことに拘る管理役の上司に睨まれたりしながらも、積極的に見聞を広めようとする姿を描かれている。 またチョットした恋愛小説でもある。何と兼吉は、現地の美人のオランダ女性(サーラ)と関係が出来、娘まで出来てしまう。 彼は、その女性とオランダに残るかどうか迷いつつも、自分がオランダに来た使命を思い出し、非常に辛い決断をし帰国することになる。 このサーラという女性との恋に真摯に悩む兼吉の姿も描かれる。 私が個人的に感じたのは、当時のオランダ人の日本への親切心・好意だ。 かつて日本を訪れたこともある海軍大臣カッティンディーケや医師ポンペなどがオランダでも色々仲介役など骨を折ってくれたりしたのがよく分かる。 またこの小説には、大砲王クルップや、鉄血宰相ビスマルクなども登場するが、特にクルップの人物像も、その発言や行動を通して非常に興味深く描かれていたと思う。 なお兼吉は、明治以降新政府で、大阪砲兵工廠副提理をやっていたが、そこを辞めて自分で中島鉄工場を起こし、大砲などの近代化に大きく寄与し、日清日露戦争ね勝利にも陰ながら貢献したようだ。 今回この著者な作品は、初めて読むが、かなり気に入った。また別の作品も読んでみたくなった。 オススメの1冊です。 ■
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by une_genzaburo
| 2015-08-31 18:53
| 読書
ここでの私の紹介文で、最近葉室麟氏の作品が非常に多くなっているが、個人的にかなりハマってしまっているので仕方ない。ご容赦願いたい。 葉室氏の作品は、架空の九州の藩を舞台にした作品も多いが、これは実在の秋月藩の実在の人物をとりあげた小説だ。 帯紙の粗筋なども利用して、ちょっと前半部の詳しい粗筋を記しておく。 時は開国と攘夷に揺れる幕末。 筑前の秋月藩(福岡藩の支藩)の執政を務める臼井亘理(うすい・わたり)は、秋月藩の生き残りを図るため、西洋式兵術を導入した。 そして鳥羽伏見の戦いの後、大久保一蔵(後の利通)など新政府要人と面談し、秋月藩への信頼を取り付けた。 しかし国元では尊攘派らの者らが、西洋文物等に開明的で、時局の変化に機敏に対応する亘理に対して反発し、「変節漢」と罵ったり、「西洋亘理」などと渾名して侮蔑した。 遅れ馳せながらも彼は京畿で活躍し、秋月藩主と新政府要人の面会できるところまで至る、しかしその段階で、彼の活躍を妬む国家老から突然の帰国命令を言い渡される。 そして帰国して数日経ったある夜、臼井の屋敷は秋月藩の尊攘派で作る干城隊によって襲撃され、亘理は妻と共に凶刃に斃れた。 亘理の考えは、西洋式兵術の導入なくしては最早時勢に立ち遅れてしまい藩を滅ぼしかねないというもので、意見は終始一貫していたのだが、秋月の田舎にいて中央の時流など知らぬ田舎尊攘志士らは、開明的考えの持ち主=佐幕派となり、したがって、京畿に上って新政府に取り入ろうとする動きは、主流の薩長=尊攘派という固定観念があるので、変節漢ということになってしまうのだ。 今の目からすると、こんな志士らは、非常にワンパターン的思考、ステレオタイプの頭しか持たないでただ騒ぎ立てる馬鹿にしか見えないが、人間というものは、衝撃的事実を目の当たりにせねば目が覚めない。当時はどこの藩にしても多かれ少なかれこういう事があった。 高杉晋作も上海洋行後、旧式の武器のままの尊皇攘夷など愚かだと悟り、考えを変えるが、同様に変節漢として同藩の急進的尊攘派の志士から命を付け狙われた時期もあったのは有名な話。 事件後、遺族や親戚が藩庁に暗殺を行った者らに厳罰を求め願い出たが、藩の措置は、彼を妬む国家老などが関与したため、非業の死を遂げた亘理に対しても驕りなどの原因があった如く説明し、犯人に対してお咎めなしを言い渡される。 その後、暗殺犯人の名前<一瀬直久>を知人から教えられた亘理の息子の臼井六郎は、復讐を固く誓う。 しかし明治に入ると<仇討禁止令>の発布によって、江戸時代は武家の美風だった仇討ちが禁じられてしまう。 それでも復讐を誓う六郎は、数年経ってから、一瀬直久が東京へ出ていったと聞き、上京する。 六郎は山岡鉄舟の道場に入門し、剣の修行をすることになる。 そのうち彼の耳に、一瀬が名古屋裁判所の判事で、現在は甲府支所長をしているという情報がもたらされる。彼は仇討のために甲府に向かうが... この臼井六郎が起こした事件は日本史上最後の仇討ち事件になるらしい。 ところでこの小説の中で、主人公・臼井六郎の父親代わりのような重要な役割を果たすのがあの有名な山岡鉄舟だが、臼井六郎に対して鉄舟は"仇討ちとは何ぞや"みたいな事を説いている。 鉄舟によれば、敵が憎いから討つ仇討ちは、邪念による仇討ちで真の仇討ちではないという。 勿論、大事な人の敵を討ち、無念を晴らしたいと思う気持ちは邪念ではないが、相手を憎む心はやはり邪念に過ぎぬとなる。 そして武士の仇討ちは私怨を晴らすにあらず、天に代わって邪を討ち、無念の最期を遂げた者を成仏いたさせることだと説く。 言葉では「私怨」と「討邪」の違いを述べられても、非道な仕打ちなど受けた被害者の家族など当事者には、それを混同するなという事は難しいだろう。 しかし主人公の臼井六郎は、仇討ちをする頃には、その境地に達しているのが分かる。 今の世なら、このような状況に自分もおかれれば、復讐が無理なだけに、尚更犯人に私怨を抱かずにはおれぬだろう。 法が邪をきちんと討たねば(罰せねば)、世の中が次第に狂ってしまう気がする。 現在の、被害者よりも犯罪者の人権を擁護するような風潮はそれだけにどうも首を傾げざるを得ない。 色々考えさせられた小説である。 お薦めの1冊です。 ■
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by une_genzaburo
| 2015-08-22 20:57
| 読書
稲盛氏の本は初めて読む。 京セラの会長やJALの再建の際、会長として采配した話はニュースなどで見聞きしていたが、実際どのような人物かは今まであまり知らなかった。 この本を読んで思いだしたが、そういえば、第二電電を設立したのも、auという移動体電話の会社を設立したのも稲盛氏だった。 実は今から20年程前、私はauの前身会社の1つ、北陸セルラーにはお世話になってた。 顧客としてではなく、私が勤めていた電気メーカーで、セルラーさんから幾つも中継基地の電源設備を収めさせてもらった。 営業成績があまり芳しくない時に、助けてもらうように受注を頂き大変世話になった、それなのに失念していた。失礼した。m(_"_)m 稲盛氏はこの本で、難しい経営理念のような事は何も言っていない。恐らくこの本でなくともそうではないか。 言っていることは、人一倍努力しろとか、最初は面白くない仕事でもコツコツと誠心誠意努力して働けばそのうち面白くなるとか、一生懸命努力すればそのうち神様もあわれむ、いやあわれむ位に努力すれば必ず成功する。よって弊社では成功するまで努力を続けるので、ほぼ100%の事業が成功する...といったこと。 ただ平凡な事しか言わない奴だと思ったら、この人の言葉は当然自分の役に立たない。 平凡に聞こえるそれらの言葉の背景に、一企業の技術者から企業の経営者として苦労して今の業績を築いてきた叩きあげの経験から体得した含蓄、言葉の重みを感じたなら、聞いて納得して実践する価値のある言葉だとすぐ気付くはずだ。 人柄も非常にいい。目標を定めたなら、その動機が自己本位的なものではないか?それが成功したなら世の為人の為になるものか、常に問う姿勢もいい。私も商売とは、生活のため儲ける事だとはいえ、利他の精神や社会に貢献するといった姿勢がないといけないと考えている。 稲本氏は人生や仕事の結果を決める方程式というものを、この本の巻頭で説明している。 人生・仕事の結果 = 考え方×熱意×能力 (熱意や能力は、0%~100%、考え方は-100%~+100%まで幅がある) という式だ。 よって能力や熱意があっても、その考え方次第ではマイナスの、世の為人の為にならぬとんでもない方向に結果が大きく出てくることもある。 まさにその通りだと思う。細かい説明は省く。 ところで私は自分の才能は、他人よりコツコツ何かを続けられることだと思っている。それ以外に対して才能は無いように思う。 そして1つの目標に向かってコツコツと他人の何倍も誠心誠意努力するということは、やろうと思えば芯の強い精神力さえあれば誰にでもできることである。 (まあそれだけに、私の努力はまだまだ足りないということは認める訳でもあるが <(^^;; ) 今の若い人は希望しない仕事につくと、何かと自分の適性に合わないなどと不平を述べるが絶対に間違っている。どこかの修道士の言葉に、置かれた場所で花開くよう努力しないさいというような言葉があったが、それが普通なのである。 稲森氏の本は、性格的にも自分にピッタリときて非常に気に入った。 いい言葉色々あるので、幾つか挙げてもいいのだが、いつものようにまた長くなりそうなのでやめておく。 今後も他の著作など機会があればドシドシ読んでいきたい。 お薦めの一冊です。 ■
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by une_genzaburo
| 2015-08-21 08:50
| 読書
三谷幸喜氏は、皆さんもご存知の舞台のみならずテレビ・映画などのドラマも手掛ける売れっ子の脚本家だ。 タイトルから分かるように本能寺の変後、秀吉が光秀を敵討ちしてから織田家の後継者選びと亡くなった者たちの遺領の分配決定のための会議「清洲会議」を題材にした作品だ。 三谷氏の作品を本で読むのは今回初めてである。 この作品は、映画化され最近話題になった(但し私は映画の方は観ていない)。 脚本家の本だけに、脚本っぽい構成だ。 前半は、それぞれの登場人物のモノローグ(独白)で、場面が変わる。後半は議事録の形をとって描いたり、少し手法が変わる。 各登場人物のモノローグが入れ替わり立ち替わり展開する前半は、ちょっとシェイクスピアの作品を想起した。 但し話される言葉には、三谷氏が面白くしようと趣向して戦国時代にはありえない現代外来語も頻発する。 先程私はタイトルとは違う漢字「清洲」と敢えて使ったが、あの歴史的会議の名なら「清洲」が正しいはずで、タイトルにある「清須」は現在清洲城がある市の名と同じ字を使ってる。 ところで清洲会議は、ホントにこんな展開だったろうか、初耳なので色々調べてみたが、やはりどうも三谷氏の創作らしい。 柴田勝家が後継者として神戸家に養子に入った信孝を押したのは事実だが、秀吉が当初は信雄(のぶかつ)を押したというのはついぞ見つからなかった。滝川一益が会議場に遅れてでもやって来たというのも嘘だ。 でも信雄推戴はありえない話ではない。 考えてみればありそうな話で、恐らく三谷氏はその辺の疑問から発想し、もしそうならばと、今日伝わる会議の結果迄に至るストーリーを自分でも笑い転げ楽しみながら書いたのではないか。 各登場人物のキャラクターを明確化強調し、そのコントラストを以て、さらにドラマを十分盛り上げている。流石人気脚本家、歴史的エピソードの脚色が上手い。 評判通りの面白さであった。 お薦めの1冊です。 ■
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by une_genzaburo
| 2015-08-21 08:46
| 読書
1996年発行の古い本だ。たまたま図書館の伝記のコーナーでみつけ面白そうだなと思い借りてきて読んでみた。 読む前は思いもかけなかったことだが、松本清が自分が市長を務める松本市の発展を亡くなる直前まで夢見て部下に指示して亡くなるところで、目頭が熱く潤み、しばらく感慨にふけってしまった。 例えて言うなら、このような上官の部下だったなら、信頼し得る上に尊敬も出来るだけに、例え尖兵として戦死しようとも悔いはない...ちょっと大袈裟かもしれないがそんな感じだ。公務員の方には是非読んでもらいたい一冊である。 私はこの本を読むまで、ドラッグストアチェーン日本最大手の「マツモトキヨシ」の創業者でもある松本清(1909~1973)が、松戸市の市長を務め(1969年1月~1973年5月急逝)、あの伝説の「すぐやる課」を作った人物だったとは知らなかった。 この本の前部の約1/3が薬局マツモトキヨシの話。残りの約2/3が県会議員と松戸市長政治家・松本清の話になっている。 彼が薬局の丁稚時代から独立して店を開き、店舗を多数拡大する迄の話も勿論面白いのだが、政治家になってからの話の方が数段面白かった。 ただその政治家としての活動も、彼が丁稚時代からアイデアを駆使し実行に移して経験や知識を獲得してきたのが大いに生かされ、商人的な感覚で旧態依然の役人世界に一人乗り込み、喝を入れて変革していくのである。 「アイデアは必ず行動に移す。結果が失敗なら、そのとき改めればいい」 それが松本清のやり方であり、彼はそれを実際有言実行したようだ。 彼は市長となると、すぐ全給料返上を宣言する。また数ヶ月してから「すぐやる課」を設置した清は、課の部屋の入口に 「すぐやらなければいけないもので、すぐやり得るものは、すぐやります。 市長」 と張り紙をする。 名刺に「松戸市民のために役立つ人のいる所(略して松戸市役所)」と明記したり、市役所職員にまるでデパートの店員かのような応接の仕方を要求したり、急激に意識改革したようだ。 彼は「誰でも分かる言葉で、誰でも考えているように、誰でもやるように心がけていれば、市民はついてくる」と常々言っていたらしい。 すぐやる課は、開始する前、市職員や野党の市会議員などから猛反対を受けたらしい。しかしやってみると、市民には大評判で、日本全国のみならず海外からも注目されるほどの大成功を収める。 また他にも投票率を上げるために「景品付き選挙」を自治省の反対も退けて実施したり、市役所の窓口サービスを、電話連絡により駅前のタバコ屋で引渡ししたり、さらに出前サービスまでするといったアイデアも実行する。 今ならコンビニや各種デリバリー販売の先駆けのようなことを今から半世紀近く前に始めているのである。驚きである! 16校もの体育館、多数の保育所や医療体制の充実、都市整備などインフラの充実などに、通常のやり方ではできないところ、知恵を絞ってやりくりしていく、……その手腕には、読んでいてもう敬服せずにはいられないものがあった。 勿論、今ではどこでもやっているような陳腐化した内容ものも多い。しかし当時にあっては斬新的なアイデアであった。 市長職の期間はたった4年余りである。その間にこれだけの改革だ。凄いというしかない。 こんな伝記を読んだのは百田さんの『海賊と呼ばれた男』以来かもしれない。 少し似た話では、近隣の羽咋市の高野誠鮮氏の『ローマ法王に米を食べさせた男』を読んだ事がある(今ドラマ化され話題になっている『ナポレオンの村』も高野氏がモデルだ)。 あちらは市職員でスーパー公務員と呼ばれている。 こちら松本清氏は、そういう意味ではスーパー市長とでもいうべきか。 とにかく松本氏の松戸市に対する思い入れが熱い。実のところ、体が弱く病気がちなのに、それさえ感じさせないバイタリティで活動し、死ぬ少し前まで必死に松戸市のことを想い続け、殉職する。 こういう熱い思いを持った市長がいる町は(滅多になかろうが)羨ましく思う。 とにかく予想以上に面白い本でした。お薦めの一冊です。 ■
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by une_genzaburo
| 2015-08-18 09:52
| 読書
![]() JAMCAとは全国自動車整備専門学校協会の英語の頭文字をとったもの。 企画・制作はアカデミア・ヴェントゥーノ(Accademia Ventuno) 執筆は飛田浩昭である。(2002年時点で定価800円) (ヴェントゥーノ(Ventuno)はイタリア語で21を表す言葉) 自動車の大衆化に成功したヘンリー・フォードについてまとめた簡易平明な伝記である。コンパクトにまとめられ、1.2時間もあれば読むことができる。平易な文章なので、子供でも読める。 JAMCA BOOKからは、他にも自動車の歴史などに関する面白い本が何冊か出版されている。七尾市立図書館に数冊寄贈されているようなので、私は以前にも同じ飛田浩昭筆になる「ディーゼルストーリー」「車と人の夢と挑戦」を読んでいる。 このJAMCA BOOKは、日本青少年に自動車に興味をもってもらって、多くの人に自動車整備士になってもらうために行っている事業の1つのようだ。 技術を身につけるためエジソン電気会社で働いて学んだフォードとエジソンの生涯を通じての深い関係や、ロールス・ロイスの創業者、フレデリック・ヘンリー・ロイスと同じ年の生まれであったこと、フェルディナンド・アレキサンダー・ポルシェの話、キャデラック社とフォード社の関係、ヘンリー・フォードが頑固で他人の意見を聞かず、ために何度も失敗や貴重な機会を失った話など…(まり詳細には書かれていないものの)、興味深く参考になる話が多かった。 もし書店や図書館などで見かけたら、立ち読みでもいいから、お薦めしたい1冊です。 ■
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by une_genzaburo
| 2015-08-17 13:13
| 読書
<百字紹介文> 学生登山を中心に、我が国で初めての日本ワンダーフォーゲル(WV)の歴史をまとめた本。戦後に登山の中心が山岳部からWVへ如何に移り、またWV自体もに如何にその内容を変遷させたか等がよく分かる一冊である。 この本は我が国で初めての日本ワンダーフォーゲルの歴史を紹介したものである。 (2015年8月8日初版) ワンダーフォーゲル(WV:以下略称で代用)とは簡単にいうと、野山を跋渉(ばっしょう)する活動だ。 独語のWandervogelからきており、Wanderは独語でも英語でも「彷徨(さまよ)う」の意味、Vogelは「鳥」、二つ複合して「渡り鳥」の意味だと言われている(但し、今の独語では渡り鳥はZugvogelと言うらしい)。 WV は、急峻で登りにくい山岳(冬山など)をアイゼンやピッケル、ザイルなどを使って登る山岳部とは違い、多くの場合は山々を自然と一体感を感じながら、チームを組んで、各自のザックに数日間の飲食物やテントや寝具を積めこみ、キャンプを重ねながら縦走する。 1890年頃にドイツで青年運動として始まった(1933年頃ほとんど完全に消滅)活動を、ドイツ留学時代に体験した出口林太郎が、日本に持ち込みWV の活動を始めたため、いまだにこの独語を使っている。 ただし今の日本では、この本を読めば分かるがWVといっても、必ずしも登山しないもの、ヒッチハイク的なもの、スキーや自転車も含めたもの....色々あり、かなり内容が広くなっている。共通点は「彷徨う」事くらいかな?? この本の著者は、ワンダーフォーゲル部の経験は無いが登山と歴史が好きで、WVの歴史をまとめたものが無いことから、その研究に取り組み、多くの大学のWV部や関係者を訪れ取材しこの本を書いたようだ。 著者は明治大学出身であったことと、明治大学が日本の大学のWV関係の部の中では、最もWV部の歴史が深かったこと、取材し易かったこともあると思うが、明治大学のWV部の記述が頻繁に登場する。 他大学出身のWV部出身者には、それだけにちょっと面白くないかもしれない。 でも日本でWVが盛んとなってから、主導的役割を果たしてきたので仕方ないことだとも思う。 明治大学体育会WV部は、その前身の「駿台あるこう会」まで含めると日本で一番古い学生WV団体である。WV部と名乗ったのは、大学としては慶応大学、立教大学が昭和10(1935)年と一番古いが、翌年には明治大学も上記歩こう会を改称し明治大学WV部となっている。 戦時体制が強化される中で、明大WV部が行軍歩行部となり、WV部は改組改称させられたが、戦後、一の先にWV部を復活させたのも明治大学であるし、一の先に体育会所属としたのも明治大学であった。 学生WV活動より早く、日本で一番早くWV活動を始めた(先程挙げた)「奨健会ワンダーフォーゲル部」(内務省の外郭団体奨健会の中の部)を設立した出口林次郎も明大卒、またWVの父と呼ばれる春日井薫も明大卒である。 これらの事を考慮すれば、多少明治大学に偏りあるのは仕方ないことだと思う。 逆に、良心的な見方をすれば、よくこれだけ多くの他大学WV部の活動を調べ上げたものだあと思う。 日本の登山というと、戦前までは、アイゼンやピッケルなどの装備で冬山など難攻不落の登頂に挑戦するアルピニストによるパイオニアワークが中心であったが、戦後から山岳部に代わってWVが登山の中心と変わっていく様を、この本で適時資料なども使用し上手く説明している。 また最初の方で言ったようにワンダーフォーゲルとう言葉が指す内容も、時代の変遷とともに変わっている。簡単にいうと、大学の大衆化とともに、レクリエーション化した部が増え多様化していった。そんな様もこの本ではよく分かる。 WV関係者には、こういう全日本的な学生WVの活動のあゆみより、各大学の会誌の方が思い入れが強いだろう。またWVに無関係な方には、よくある「〇〇のあゆみ」的なあまり関心を惹起しない本かもしれない。 しかしアルピニスト関係の歴史の本は比較的多いのに、今までWVの歴史をまとめた本は無かったのだ。非常に貴重な一冊と言えよう。WV関係者必携の書といっても過言あるまい。 薄々気付いた方もいようが、実は私は明治大学体育会ワンダーフォーゲル部にいた人間だ。但し滑落事故で足を骨折し、親を心配させないために卒業する前に退部したので、OB会()明治大学では「なため会」と言った)には所属していない。 自分がいた明治大学WV部を含め、この本で初めて知った事も多く個人的には非常に興味深く読ませてもらった。 ただ個人的に少し注文をつければ、著者はWV部出身者でなかったためか、普段の活動自体はあまり書かれていない。日本のWV全体のあゆみの本だから仕方ないかもしれないが、この本を読むと、明大WV部は体育会と言えども、同好会的レクリエーション的活動の多い軟弱な部と思われそうで気になった。 明大WV部は、普段は体力トレーニング中心としたそれこそ体育会である。日本で最も古いWV部としての自負もあり、それ相応のトレーニングをしていたことだけは付け加えたい。最後にこのことだけ強調して筆をおきたい。 ■
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by une_genzaburo
| 2015-08-16 17:09
| 読書
この小説を読むと、頼朝という人物は武士の棟梁でありながら不思議な人物だなぁと思う。 騎乗の技術も大したものでなく、弓もまともに引けぬ、そして今様の歌にハマるようなちょっと公家みたいになよなよしたところがあるのに、その弱々しさ、実戦向きでない武士などといった特徴があまりマイナスになってない。 例えば蛭ガ小島で決起する前の状況を見てみる。 頼朝が伊東祐親の娘と関係が出来て子供まで生まれると、祐親は平家からの懲罰を怖れて、娘を幽閉した後、赤子を簀巻きにして川に沈めてしまう。そして頼朝をも討とうとする。 面白いのはこの後だ。 頼朝が伊東祐親に追われて北条館に逃げ込んだことが、逆に関東の他の武者達を刺激していまうのだ。 あの八幡太郎の直系の義朝の嫡男・頼朝が北条一族の庇護を受けている、しかも北条一族の婿となっている、このままでは北条一族だけが御曹司を独占しかねない、と そして頼朝の周囲にその後急速に武者達が集まりだす.... といった感じなのだ。 またこの三田さんの小説では今までの源平もの小説ではあまり注目してこなかった政治支配構造・経済的側面からも鋭い指摘をしている。 例えば西国がなぜ源頼朝を担いだのか、先程の例以外にも根本的理由を見事に説明している。 清盛の独裁前の治承4年以前は、平家一族の知行地は、伊豆や武蔵以外は西国であったが、清盛の独裁以降、上総、下総、常陸を加えた。 朝廷が、平家など武士を用いて国司や目代として全国を支配しようとしたのは後白河法王から始まる。 それまでのように公家が国司の場合は、武力は持たず、その地方の土豪らの力を利用してきた。 特に平家の知行地が少なかった東国は、その意味では武士の天国で、開墾などで新たに得た耕地なども社寺に寄進し名目料を払うだけで実質土豪の領地でありえた。 その状況が、平清盛が独裁を始めるに伴い、国司が実際には下国しない、国司代理役の目代を送る遥任(ようにん)であっても、平家の家士である目代とともに平家の武装勢力が下国し、地元豪族がそれまで自領として実質支配していた地域から押し出されてしまうのだ。 つまりこれ以上平家の知行地が増えると、地方武士がどんどん勢力を削られる事になる訳だ。 それで、多少公家的でなよなよしている頼朝であっても、妻は男勝りでしっかりしているし、武家の棟梁として頼朝を担ごうとする。 このように東国武士の権益を守ろうと、源氏系に限らず平家系の武士まで源氏側にまわった理由が鮮やかに説明されていた。 頼朝決起前までは、東国の武士は群雄割拠で平家には抗する力は無かったが、八幡太郎の血を引く頼朝が立てば、群雄が一つに纏まり鍛え抜かれた武士が多い東国は、京畿のみならず西国全体も脅かす強大な勢力となる。 歴史のダイナミズムとは、このようなものだろう。こういう事を明確に示している歴史小説は多いようで意外と少ない。 ただこの小説では、頼朝が決起するにあたり、真の敵は平家にあらず四ノ宮(後白河)だとか、この戦いは源氏のための戦いではない、武者の世を開く戦いだと言っているが、頼朝が当時明確にそのような目標を持っていたかどうかは疑問だ。 こういう箇所は後世の眼で、歴史的精算がどういうものであったかを書いている気がしてそのまま鵜呑みにはできない。 とはいえ今まで不勉強で気づかなかった視点など数多く出てきて為になる小説である。 今回はかなり長い紹介文になり、ダラダラと駄文になってしまった。 最後まで読んで頂いた方には感謝申し上げたい。 オススメの一冊です。 ■
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by une_genzaburo
| 2015-08-02 19:09
| 読書
この人の作品は今回初めて読む。 近くの図書館で何となく手にとった。帯紙に「遅咲きの本格派として注目された著者の遺作にして最高傑作!」とコピー文があったので、興味をそそられ借りてきて読んだ次第だ。 プロフィールをみると、山形県酒田市出身で、建築家として仕事の傍ら小説を書き、50歳頃にオール読物推理小説新人賞を受賞、50代半ば(2004年)に『夏の椿』で松本清張賞候補作となり本格的デビューを果たすが、61歳となった2009年に癌で急逝したそうだ。 この本は、5話からなる短編集である。 第1話「日照雨(そばえ)」、第2話「日本橋」、第3話「梅花の下で」、第4話「与力」、第5話「伊勢町三浦屋」 どれも開府まもない江戸を舞台とした話だ。また主人公は皆元武士ながら今は別の生業を立てている者達で、時代の移り変わりに合わせて身過ぎ世過ぎするために、武士を捨てる矜恃を持って生きる男達だ。 私個人としては、第3話の「日本橋」が一番良かった。日本橋建設の課程を描いた作品だ。 全話は紹介出来ないので、その話を紹介する。 武田方の元家来であろうか信州の川中島近くの城に住む土豪が德川家の検地に反対し叛乱するも、父親や兄弟は討死し、母や妹らと逃げるうちに行きはぐれて、一人江戸へ逃げてきた少年・吉之助というのが一応主人公。 そして彼を雇い入れた日本橋普請の責任者達も、武士として戦乱の世にあって城普請を各地で行い能力を身につけた男達だった(これらの男達の方が主人公より魅力的だった)。 彼らは今は殺し合いに飽き、武士の地位も捨て、普請という物を作ることに生命力溢れる魅力を感じて生き甲斐とした。 そして付近にあと2つある他の橋普請場と競争して、日本橋を完成させるという話だ。 私も元電気メーカーにいて、工場で生産管理などもやっていた時期もあり、物作りの魅力は十分知っているつもり。普請の男達に共感が持てた。 また建築家が書いた小説だけに、橋普請の手順・仕方などが詳しく書かれており、それなども興味深く読ませてもらった。 確かに本格派の時代小説と言えよう。機会があったら他の作品も読んでみたい。 時代小説ファンにオススメの一冊です。 ■
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by une_genzaburo
| 2015-08-02 19:04
| 読書
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