鬼 (HARUKI BOOKS)
高橋 克彦 / / 角川春樹事務所
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高橋克彦氏は、その名前にあまりなじみのない方でも、以前NHKの大河ドラマで放映された「炎立つ」の原作者といえば、なるほどと頷く方も多いかもしれない。
このブログでも彼の作品を数冊紹介しているはずだ。
今回は「鬼」をテーマとした短編集である。主人公は何れも陰陽師である。
収録されているのは、「髑髏鬼(どくろき)」「絞鬼(こうき)」「夜光鬼(やこうき)」「魅鬼(もこ)」「視鬼(しき)」の5話。
第1話は「髑髏鬼」。陰陽師としては滋丘川人(しげおかかわひと)と弓削是雄(ゆげこれお)が出てくる。私は、陰陽師関係の本は好きでよく読むが、弓削是雄の方は多少聞いたことがあったが、滋丘川人は初めて知った。
時は、応天門が焼けた貞観8年(866)、大納言伴善雄は、応天門が突如炎上したのは弓削道鏡の怨霊ではないかと考え、滋丘川人を呼び道鏡が葬られた下野(しもつけ)国にある墓を調べるよう依頼した。川人は、所縁の者が役に立つと考え弟子で道鏡と血縁に当たる弓削是雄を伴って下野に向かった・…
第2話「絞鬼」。元慶6年(882)、陸奥の胆沢(いざわ)鎮守府将軍・小野春風の許へ陰陽師が置かれることに成り、弓削是雄が着任した。鎮守府副将軍の紀道足から胆沢の東和に絞鬼が出没すると聞いて、自ら志願してやってきたというのだ。早速調べようと、小野春風や紀道足らと現地に出向くと、そこには夥しい怨霊の気が満ちていた・…
第3話は「夜光鬼」。延長8年(930)、醍醐帝が46歳の若さで崩御、わずか9歳の朱雀帝が践祚。その翌年の承平元年(931)には幼帝の祖父にあたる太上天皇(帝位にある時は宇多天皇)も崩御。一年にも満た中での不幸の重なりに内裏では、菅原道真の怨霊の仕業ではと恐れられた。醍醐帝の崩御の3ヶ月前には、天皇の住まいの清涼殿に激しい落雷があって屋根を崩し、たまたま出仕していた藤原清貫を直撃した胸を引き裂くという事件もあった。
時の権力者・関白の藤原忠平は、道真を大宰府に左遷した時平(この時には既に亡くなっていた)の弟であり、道真の怨霊を恐れた。その頃、道真の操る鬼が群盗を率いているという噂が流れ、ある日陰陽寮の賀茂忠行は群盗が巣食っているという噂のある羅城門に出かけた。・・…
第4話「魅鬼」。天慶3年(940)、平将門の乱が平貞盛と藤原秀郷の働きによって平定された。その年の春には、将門の首が都に送られてきて、東の市に晒され、見物人で東の市はごった返した。
関白太政大臣・藤原忠平は、ただの盗人や人殺しではないので将門の怨霊を恐れ、忠行に将門の首を見聞するよう命令した。忠行は息子の保憲を連れて現場に出向く。弟子の安倍晴明の現場で待ち受けていたので、夜警を担当していた検非違使の者に断り、晒されていた首を見聞した。調べてみると数日経っているが腐っている様子がない。そのうち首から大量の血がし滴り、それが血の塊となり見る見る生首に転じた…
第5話は「視鬼」。永祚元年(989)、この年は、東と西の空に対としか思われぬ大きな箒星が現れたり、怪事が続いた。水害などの天災があるかと思えば、巷では袴垂など夜盗が徘徊していた。
その年に齢70歳の安倍晴明は内裏からの命を受け、華頂山の将軍塚の様子を、まだ若い藤原道長を随行して見に行った。将軍塚とは桓武天皇が平安遷都に際して、王城守護のため八尺の土人形に鎧を着せて埋めた場所だ。もし都に異変の兆しがあれば鳴動するという。
将軍塚に特に異常はなく、晴明はここに残って星の動きを見定めるといって道長だけを先に帰した。実は裏手の藪に隠れて2人の様子をじっと窺っていた藤原保昌と話すためだった。彼は怪事の原因が、自分の弟で亡くなった保輔ではなかろうかと思い、それを確かめようと隠れていたのであった。・…
表紙の帯紙に「都の闇に鬼や悪霊が潜んでいたころ、密命を受け、頻発する怪異に立ち向かった陰陽寮の術師たちは、怪異の背後に何を幻視したか。―鬼が紡ぐ、妖かしの新物語集。」とあるが、怨霊などによる怪異かと思われた事件の背後には、ある目的を持った者が、怨霊に託(かこつ)けて、自分の出世などの有利に働くようにとの思いなどが働いていたりする。姿は人間でも、そういう何かに妄執した人の心こそ鬼そのものと考えさせられてしまうような作品である。
なかなか面白い短編集であった。高橋氏には他にも鬼や陰陽師に関する本が何冊かあるらしい。機会があったらそれらも読んでみたい。
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