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社会を見る眼―親鸞をとおして (1981年)
久木 幸男 / / 東本願寺出版部 ISBN : B000J7PTZ0 スコア選択: ※※※※ 意図して再読した訳ではない。私自身は本棚の奥にあったのを、たぶん読んだことが無い本だろうと思い読んだのだ。気付いたのは何と先ほどライフログで検索している時で既に登録とあり調べたら昨年の9月27日、詳細な内容紹介まで書いてアップしてあったのだった。たった半年でこれである。ボケたものである。 この本の副題など見て抹香臭いと感じる方もいるかもしれないが、私自身老成が早いのか最近こういう本が全然気にならないで読めるようになってきた。 まあとにかく再読による紹介だ。以前と同じ事を書いてもしょうがない。しかし読んでみるとやはり2回目だけのことはある。昨年の要旨を書いたつもりの文章を読んでみると、あまり理解していないのが自分でも感じられる。しかし今回は前回よりは深く主旨をとらえて読めた気がする。そこで今回は私が注目する部分にスポットを当てて、紹介する。 この本はそもそも1979年6月、お隣富山県高岡市で「親鸞のまねび-現代社会教化の原点」と題して真宗大谷派高岡教区社会教化研修会で、当時横浜国立大学哲学科の教授でいらっしゃった久木幸男氏が、沢山のお坊さんを前にして行った講演を纏めたものである。だから現代における社会教化というものが問題となっている。 「教化」という言葉は、色々な意味合いで述べられてきたが、例えば中江藤樹の『翁問答』に出てくる「武士の心得」の箇条の中では、「根本真実の教化は徳教なり」となっており、それに続いて「口にて教えずして我が身をたて、道を行ないて人自ら変化するを徳教という」と述べています。これは支配階級である武士が、口で教えるのではなくて実際に道徳的に行いを自分がすることによって人が感化を受ける、そのことが教化だと。 これは日本的な武士道の儒教倫理ですが、これはこれなりにいい考えだと私は思うのですが、著者は支配者層による徳教が気にくわないのか、特に支持していません。 一方indoctrinationの訳語に近い教化もあるといいます。これはdoctrineつまり教義+inという意味で、教義を中に詰め込む、教義注入とでも訳せる語で、一定の思想、信条、あるいは一定のイデオロギー、世界観などを頭ごなしに注入するというもの。 さらにedificationの訳語と考えられている教化もある。これはラテン語のaedificare(アイディフィカレ)から来ており、aedificareとは何かを建てる、特にこの場合は教会を建てるという意味合いで、転じて人々の心の中に宗教心を打ち立てるという意味での教化を言う場合使われるという。 この本では日本でも、明治時代、真宗大谷派の清沢満之(きよさわまんし)という宗教哲学者が、「教導教化」という言葉を用いているがおそらくこのedificationの訳語だろうと言っています。一見中江藤樹が述べた儒教的な考えと似ているが、支配者階級的な社会の安定が目的ではなく、信者に宗教心を打ち立てるという意味合いがあると指摘している。 親鸞聖人の政治観としては、反権力ではなく非権力であるという。承元の法難、建長年間の訴訟で親鸞が書いた文章を読むと確かに権力に楯突くといった感じではない。しかし権力を強制したい側にはどうしても反権力として写る。反権力というものは自分自身を権力化していくが、非権力にはそれがなく、現代の公共活動を展開していく上での参考になると著者は説く(特にお坊さんたちに)。 私としては、社会教化における宗教的中立性の話なども面白い論だと思った。著者は宗教的中立ということを述べると、「信じる自由」が「信じない自由」を含むことになり、それが無宗教も認めてしまうという。つまり宗教的中立ということは、どの宗教も採り上げないということだが、つまり無宗教という事であるという。 ここに著者は親鸞が言ったように“政治と宗教は相容れないものだ”という真実が表面化しており、政治は宗教を否定するのであり、実は無宗教こそが宗教に対する権力側の態度だと鋭い指摘をしている。著者はこの点に関し問題を感じ、提案をする訳です。 そこでABCのうちAを選ぶ自由ろかB を選ぶ自由を保障するという中立でなく、何もかもある中立でも良いのではないか。何十何百もあるという全ての宗教を保障し対応できるようにするというのだと問題があるが、ある地区にはそこの主な宗教だけ用意する。その中からそれぞれの宗派の人が自分の宗旨のものを学ぶという考え方だ。 しかしこれが書かれてからもう大分経つ。果たしてそれが上手くいくかどうか予想は難しいと思う。当時でも宗教離れは進んでいたが、今はもっと進み、葬式の時に一応どこかの宗派で式を行うためにお坊さんを呼ぶという便宜的な理由からしか関ろうとしない人が多くなった。真宗王国と呼ばれるここ能登でも、報恩講など宗教的行事に参加するのは、老人しかいなくなったというのが現状だろう。 明治32年に制定された「私立学校令」で中等教育以下の学校では、宗教学校でも宗教教育を禁ずるという事が決められ現在に至っているという。その際権力側が考えたのは、家族国家観に収斂していくような天皇制信仰の普及が念頭にあり、宗教家の宗教教育はその邪魔になる。文部省の役人たちはそれでも宗教学校による教育を恐れたという。それは何を恐れたかというと、仏典やバイブルの言葉を引くことは抑えられるが、無形の感化だけはどうしようもない、と。しかし実際には、宗教側で自主規制して無形の感化は少なかったという。 著者は、そういう事を一つづつ取っ払って、無宗教による現代社会の問題点を基本的な問題として考えていくべきだと訴えている。 私は、お寺が新たに信者を惹き付けるというのはなかなか難しいと感じ、著者の主張は難しいと疑問を呈しているが、別に無宗教ではない。実は最近親鸞は(宗旨が真宗ということもあろうが)やはり一番の宗教家ではなかろうか、また仏教が一番宗教としてはいいと考えるようになっている。 積極的に活動するつもりまではないが、今後お寺さんはどういう方向に進んでいくのだろうか、と少し気掛かりな眼で見守っている。 ここまで読んで評価してくださる方は、できれば下のバナーをクリック↓してくださると有り難いです! ランキングに参加しています!
by une_genzaburo
| 2008-03-29 14:12
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