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佛心
朝比奈 宗源 / / 春秋社 ISBN : 4393143531 スコア選択: ※※※※ 著者の朝比奈氏は、鎌倉五山として有名な臨済宗の円覚寺(といっても私は高校で日本史を履修しなかったので、あとは建長寺くらいしか知らないが)の住職、管長をされていた方である。この本は昭和34年、つまり今から約50年ほど前に書かれた本であり、その時点でかなりの高齢であるからおそらくもう亡くなられたであろう。古い本ですが、この本はその後も何回も再発刊されているようなので、入手はそれほど困難ではないはずです。 私は、浄土真宗門徒である。禅宗(臨済宗のみならず曹洞宗)にも20代の頃からかなり興味があり、色々と読んできた。別に宗旨替えしようという訳ではない。真宗も非常にいいと思っている。真宗、禅宗は同程度興味があり、その次くらいが真言宗、天台宗、浄土宗あたりかな。 他宗だなどと頑なに思わず、ちょっと聴いて、心を惹きつけるような言葉があったなら、今度はじっと耳を傾ければいいと思う。この朝比奈氏もいうように、仏教の色々の宗派は、宗学の立て方が違うだけで、その根本においては皆同じである。この臨済宗などでも、浄土真宗の僧を招いて真宗信心の真髄に触れるための勉強会も開いたりしているようである。 この本は、タイトルに「佛心」とあるように、佛心が全ての人の中に、宇宙の全ての場所、全ての時間に偏在していること信じることが、悟りに至る道であり、少し言葉を変えては何度も何度も繰り返し出てくる。 佛心とは、仏教成立の悟りの境地を呼ぶ言葉で、佛心の他、佛性、法性、自性、法身、真如、涅槃など色々呼ばれている。何種類にも呼ばれているため、信者に分りにくくしている弊害もあるようだ。著者は、この佛心という、信者に一番分り易く親しみがある言葉を専ら用いることにより、信心のあり方を説いている。 仏教には、三学という言葉がある。“戒”と“定”と“慧”の3つのことで、それらの関係を言うと、戒(律)によって定を得て、定によって慧(智慧)を得る。その得られた正しい智慧によって初めて解脱ができるとされている訳です。禅宗でいえば禅の戒律によって坐禅し修行することによって、心の安定を得られ、それによって悟り(正しい智慧)を得られるということになります。 この本では、古代仏教で教えられていた“五蓋(ごがい)の教え”と一緒に出てくる禅定に至る“四禅”という4つの段階なども紹介されている。また中国の唐の百丈禅師が作られた「坐禅儀」(坐禅の仕方を教えたもの)と、道元禅師が作られた「普勧坐禅儀」なども比較しながら紹介されている。五蓋の教えなど、禅を深く理解する参考になった。 根本仏教の四禅など仏教の教えの深奥にまでさかのぼって、そしてできるだけ教えに従った坐禅をするのが悟りに至る一番いい道だろうが、実の所、真宗などの安易な念仏と違い、なかなか難しい。調息(数息観など)ぐらいなら真似し易いが、私の場合その前の坐相(調身)が苦手だ。つまり結跏趺坐は数分しかもたず、半跏でも1時間ほど続けるとかなり辛く感じる。調心に至ってははなはだ未熟といった段階だ。 禅宗では修行の純粋さを保つため(禅の本領とする宗旨を誤りなく後世に伝えるため)に、多くの弟子を取らないといいますが、反面道元禅師が“草の庵にたちてもいてもいのること、われよりさきにわたさん”と詠んだように、一人でも多くの衆生に正しい教えを伝え、安心を与えたいという一見矛盾する願いがあるので、禅宗でも在家信者のために苦労しているらしい。 私のような凡愚のために、朝比奈氏は真宗の称名念仏のように“南無釈迦牟尼仏”を7編ほど唱えることを勧めている、そうすれば心が安定し、すなわち本来自分の心の中にある佛心(悟り)に近づけるというのだ。遺教経に「汝ら比丘もし心を摂(おさ)むるものは心すなわち定にあり」と述べられ、禅宗では坐禅することが“摂心”などともいうそうです。 さてそれでも人は心は弱く迷いがちになるものだが、著書はこの本の中で何度も次のように言う。「人は佛心の中に生まれ、佛心の中に生き、佛心の中に息を引き取る」。人は誰でもお釈迦様がお悟りになった心、すなわち佛心を備えている。その佛心は、穢すことも傷つけることもできない、品行の良いとか悪いとかにもかかわらない、勿論、学問のあるなしにもかかわらない。佛心は、自分の心の中、山川草木、宇宙のあらゆるところに在る。 たとえ自分が悟りをひらかなくとも、佛心を信心すれば、生きているのも佛心の中に生き、死ぬるのも佛心の中に死ぬるのである。佛心の中にあっては生は生であって生でなく、死は死であって死でない。佛心の中では生き通しだという。 よって死後に地獄へ堕ちるの迷うのということは絶対ない。生きている間は肉体にひかれる煩悩のために、とかくあれこれ迷ったり悩んだりするが、死ぬることは、その煩悩の元となる肉体がなくなるのであるから、おのずと佛心一つの世界に入る。そこはまさにお釈迦様がお入りになった涅槃の世界であるという。 この本の中では、勿論これ以外にも色々教えてくれます。仏教でしばしば用いられる“因縁”という言葉なども、因果とどこが違うのかなど。因果というと、実験室の中の科学反応のように、一定の原因があれば一定の結果が出るという単純なイメージがあるので、仏教では因縁という言葉を用いる。“因”を分けて、直接の原因を“因”といい、間接の原因を“縁”という。そしてこの因縁が大宇宙の中で自然などに作用し複雑に相関しながら生起した内容が縁起ということになる訳です。 また信心などなく心裏腹に“南無釈迦牟尼物”と唱えていても駄目なのは当たり前。仏教には三業という言葉があり、三業の三とは“意”と“口”と“身”のことで、つまり思うこと、言う事、行うことの3つで、これらが慈悲に基づいていれば善行であり、反対に無慈悲から出れば悪行となる。それらの業による果報には、果報が熟する時間が必要なため、必ずしも善行が報われ、悪行が懲らしめられるようには見えない場合も出てくる。運不運・幸不幸など悩まず怒らず(瞋恚(しんい)せず)、ただ佛心を信じて生きることが大事なことを説いている。 他人を悪く思うのは自分の誤解もあるかもしれないし、自分も気付かず悪行を与えているかもしれない。顔の表には必ず善悪を反映した相が現れるというから、時には鏡を見て相が悪くないかなど確認し、心を平安にし佛心に戻る事が大切ということだろう。“襤褸は着てても心は錦”などという言葉があるが、他人の事など恨んだり羨むことなく、誠の生き方をすればそれが実のところ本当の幸福な生き方と思えばいいのかもしれない。 そう思うようにしているが、凡人のためどうしても心の安定が崩れる。この本を読んで、ただ今までの考えが間違っていなかったことは分った。心を鍛え直し、人間的にもさらに向上し真っ当な人生を生きたいと思う。 普観坐禅儀で道元はこう言っている。「いわゆる坐禅はすなわち大安楽の法門なり。もしこの意を得れば自然に四大軽安、精神爽利、正念分明、法味神を資(たす)け、寂然として清楽なり」とある。“南無釈迦牟尼佛”を唱えて心を落ち着かせるくらいではちょっと物足りない。実は昔この円覚寺でなく同じ鎌倉の建長寺で参禅したことがある。たまには本での理解だけでなく、時にはまた坐禅してみようかとも考えている。 今回は、禅宗の本なので、ちょっと抹香臭く思われた方もいるかもしれない。でもくだらない二流のエッセーなど読んでいるより、よほど私は面白いと思います。 興味をもたれた方には、是非ともお薦めしたい1冊です。 (参考) 数ヶ月前の7月25日にも禅に関しての本・『禅とは何か』(鎌田茂雄著・講談社学術文庫)をこのブログで紹介した。そちらもかなり禅の参考になると思います。 ここまで読んで評価してくださる方は、できれば下のバナーをクリック↓してくださると有り難いです! ←ランキングに参加しています!
by une_genzaburo
| 2007-12-16 12:14
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