(以下の文章は、
「源さんの書評」にも採り上げ、ほぼ同じ文章が掲載されています)
この本は、副題にあるように
天草四郎の乱(寛永14年(1637)~寛永15年(1638))、つまり島原の乱を扱った小説である。私は、
加来耕三さんの名はかなり以前から知っていたが、彼の作品を読むのはおそらく今回が初めてだと思う。島原の乱が出てくる小説は、
『西海水滸伝―柳生十兵衛秘帖―』(戸部新十郎著・PHP)他、何作か読んだことがあるが、乱を中心にすえた長編小説も初めてかもしれない。島原の乱については、あまり詳しく知らなかったので、今回非常に勉強になった。
一般的には、この乱は揺籃期の徳川幕府を震撼させた切支丹一揆とされているが、乱の原因については、領主の苛酷なキリシタン弾圧(島原の最初の領主・有馬氏、その後の島原藩の松倉氏、天草の領主・唐津藩寺沢氏などの弾圧)、鎖国の結果、島原藩や唐津藩がそれまで大きな収入を得ていた貿易収入がなくなったこと、領主の苛斂誅求(松倉家・寺沢家の苛政)、寛永10年から寛永14年の旱魃などの天候異変などが揚げられる。これらのことについては、小説でも詳しく書かれているが、原城跡がある
南有馬町のホームページなどにも詳しく書かれているので、こちらを参考にするのもいいだろう。
上で南有馬町のHPを紹介したのには、訳がある。この小説は、歴史小説であるけど、歴史書ではなく小説なので、やはり作家が創作したり想像で書いた虚構(フィクション)の部分があるのだ。かなり関連の歴史を調べて書かれた小説なので、どこまで真実でどこからがフィクションであるか、ちょっとわかりずらいのだ。だからその南有馬町のHPを参考にすると、その辺を混同しないで読むことができるのでお薦めしたのだ。
たとえばこの小説の中では、島原の乱は、単に島原天草地域の反乱だけではなく、楠木流の軍楽塾・張講堂を主宰する
楠木不伝とその塾長・
由比正雪が、旧豊臣恩顧の幕府に反感をもつ浪人などを結集して、島原と少し時期をずらして蜂起することなどによって、幕府転覆をたくらむ計画の一部であるようにか書かれ、由比正雪などの暗躍などが興味深く書かれている。しかし実際には由比正雪は、後に彼が起こした乱の首謀者として知られているが、この島原の乱に関係したという事実を記した歴史書物はないずで、これは作家のフィクションである。日本史に詳しい人にとっては、常識かもしれないが、普通の人は誤解しやすい。
そしてこの事件の裏には、薩摩の島津家、紀州権大納言家頼宣などの大物、朝廷、さらには幕府内部の人間なども黒幕としていることを匂わせている。作品の一番終わりの部分で、この反乱の鎮圧に尽力した松平伊豆守信綱と阿部豊後守忠秋の二人の老中が、乱の結果や原因について語る部分あるが、そこでは、さきほど揚げた人物のほかにも意外や意外の人物が一番の黒幕である可能性が強いことが書かれている。
実際そういう事実はあったかもしれない。しかし現在のところ、そのあたりは資料が無くそういう事実は少なくとも不明なのだ。この島原の乱については、一揆方の資料は見事なまでにほとんど抹消されているそうで、ここに作家は勝者としての幕府側の強い意志を感じたらしい。この乱の後、幕府の鎖国政策が完成され、またキリスト教だけでなく、仏教各宗派の幕府体制内への取り込み(各宗派の本山末寺への門徒登録による間接支配)なども完成する。そういったことから、この乱には他に何か大きな原因あったのでは、または、この乱の裏の裏にはあっと驚くような予想外の大きな黒幕が潜んでいたのではといった可能性も推論して書いたようだ。
小説の登場人物としては、天草四郎(天ノ四郎)、先に挙げた老中の松平伊豆守信綱と阿部豊後守忠秋、由比正雪、他にも老中の土井利勝、坂井忠勝、公家の烏丸光弘、当初の幕府側主将・板倉重昌、大垣藩主戸田氏鉄など歴史上の人物が多々出てくる。また柳生但馬守宗矩、その子柳生十兵衛、甲賀・伊賀の忍びの者たちも登場したりして、作品としては、なかなか面白くしあがっています。
歴史小説としても非常に充実した内容であるし、奥の深い娯楽小説としても、楽しめる。興味のある方は、ぜひ自分で実際に読んで見られることをお薦めします