先日佐藤雅美氏の本の紹介をした際、この人のシリーズものは殆ど全て読んでいる旨を書いたが、澤田ふじ子さんも同様シリーズものはほとんど読んでいるし、単独の作品など他の作品も半数以上読んでいる。
おそらく私が読んだ女性の時代小説作家の中では、平岩弓枝さんと澤田ふじ子さんが一番多く読んでいる方だと思う。
<高瀬川女船歌>シリーズは、この本で第9弾にあたるようだ。
主人公は、奈倉宗十郎という元尾張藩士だが汚名を着せられて藩を脱藩した人物。既に冤罪であることが判明し、尾張藩では詫びて帰藩し出仕することを度々勧めるが、それを拒み続け、宗因と名乗って高瀬河畔で尾張屋という居酒屋を営み巷間に住んでいる。
高瀬川筋沿いに何か事件が起こると乗り出すことが多く、彼が解決した事件が幾つもあった。高瀬川を管理する角倉会所の頭取児玉吉右衛門も彼を深く信頼している。
そのため町奉行所なども一目置く人物であり、中にはあれは尾張藩が京の街中に配置した隠し目付だと噂するほどの人物だ....という設定である。
私は、ホントを言えばこの奈倉宗因のように結局元武士であることをひけらかし、伊酒屋の単なるオヤジに見えても元尾張藩士でその辺の男とは違うぞ、というこの小説の定番のやり方、巷間に住む人物とはいえ元武士であるという事(つまり武士の権威)を傘に、偉がってるようで、こういうやり方は好きではない。武士がそんなに偉いのか、と言いたくなる。
考えてみれば時代劇・水戸黄門のやり方に似ている。あちらは、まぁ副将軍様ならまぁ実際に偉いんだから、しょうがないか、と割り切れるが。
(でもチョット思いつきで書いたが、よく考えたらホントによく似てるなぁ。)
私自身は、出自に関係なく武士であろうが農民であろうが、様々な努力苦労を通して人格が磨かれた人物は尊敬すべきものは尊敬すべきであると考えているので、その辺の澤田さんの考えにはちょっと如何なものかと考えてる。
では何故私がこれほどに読み続けているのであろう。
その辺振り返って考えてみると、澤田さんのストーリーの展開方法は大概の場合、徐々に問題の核心に迫り描くという書き方ではなく、勧善懲悪の立場にかなり立っており、探索の手がかりなどがどこまで来ているからどうのこうのではなく、ある程度まで来たら、決めつけでも何でも強引に勧善懲悪の立場から、ズバッズバッと一刀両断的に裁く事件の解決を好む描き方なのだ。ほとんどの場合がこのパターンのように思う。
ドラマの水戸黄門で「格さん助さんもういいでしょう」というあの言葉が合図になり、悪を懲らしめるチャンバラが始まり、急転直下事件が解決するのとよく似ている。この小説では、宗因の凄上の剣の技なども用いて事件が解決する(やっぱり水戸黄門に似てるなぁ)。
つまり澤田さんの相当権威好きな観点に好きになれない部分がありながらも、水戸黄門の単純で分かりやすい勧善懲悪が人気を呼ぶのと同様、ある意味、その裁きのつけ方が男以上に男性的で爽快な裁きで心地よく、ついつい今まで読み続けてきたような気がするのだ。
これは変わらない気がする。今後も読み続けるだろう。
娯楽時代小説の醍醐味とは、小難しい内容を訴えるとか難解な不条理を提示するというのでなく、こういう単純に心地よく感ずる部分がかなりあるのではないだろうか。
その辺、澤田さんは読者を十分そういう点で楽しませてくれることを心得た作家のように思う。
時代小説ファンにおススメの一冊です。
(追 伸)
ちょっとウッカリしていた。この巻の話の内容を殆ど書かなかった。字数をこれだけ費やしたので今更あらすじ等を書くのはやめておく。
ただ収録話の題名だけ転記しておく。
<収録話>
第一話「禿髪の娘」、第二話「穢土の商い」、第三話「なさけの一振り」、第四話「悪業の客」、第五話「似非遍路」、第六話「赤い手鞠」