1月程前に風野真知雄氏の『卜伝飄々』を読んで塚原卜伝に非常に興味を持ったが、こちらの津本陽氏の『塚原卜伝十二番勝負』は風野氏のものとは全く人物像は相反するような卜伝像に思えた。
風野氏の卜伝は、もう老年期に入った卜伝(没後まで)を描いているせいか、冒頭から既に日ノ本一の剣豪と名を高めておる卜伝が登場する。
勝負を挑まれれば血気に逸らず、相手の弱点を見定めたり、弱点があるかの如く装ってみたり、使えるものは例え下品な真似でも何でも使って勝つ。立ち会うまでに出来るだけ有利な立場に立ってから立ち会う。そんなある意味姑息ささえ感じる卜伝像であった。
こちら津本氏の卜伝は(家督を継ぐまでは塚原新右衛門という名で登場)、彼がまだ17歳の時から描かれる。
若年にして兵法を会得した彼は、永正2年(15805)を皮切りに、鹿島神道流剣法の名を全国に広めるため諸国遍歴による武者修行を(3度)行い、真剣勝負を一つ一つ重ねるごとに成長していく。
彼の最初の頃の戦いは、普段の鍛錬によって素早い動きなどで相手の早業などに対応したものだった。真剣勝負を何度も重ね、その都度勝って生き残り、死の恐れを超越できるようになってからは、沈着冷静に試合に臨み、無心になって相手の目を覗きこみことによって、心やその変化を読み取り自在に対応するようになっていく。
さらに鹿島神宮に参籠して神霊によって鹿島の剣の秘奥を授けられてからは、他流試合に最初に弟子に小手試しさせるようなこともなく相手の未知の剣法も無心に向き合うことで、神霊の御技のごとく自在に即応し勝ちを制していく姿を描いている。
と言った訳で最初に述べたように、塚原卜伝を描いたこの2つの小説は、真剣勝負で勝ちを制する手段・姿勢が、真逆といっていい位反対になっている。
(余談だが、津本氏のこちらの小説は、確かNHKの時代劇ドラマ『塚原卜伝』の原作だったはずだ。ただし私はテレビドラマの方も全く観ていない)
どちらの方がより正しいかは、私はまだ塚原卜伝のことはあまり知らないだけに判断できない。
描いている時代が違うから、どちらもある程度は正しいのだろう。
まあ歴史小説は、歴史書でなく、どうせ所詮フィクションだから、どちらも多少ホントの事が書かれている程度があるにすぎぬと考え、あくまで娯楽小説として読んで楽しむのが一番といったところか。
きちんとした立会人や見物者を交えた他流試合の真剣勝負も出てくるが、相手には忍者やハッパ、スッパ、海賊など、戦国時代だけに、寝込みや不意打ちを狙う荒くれ者なども登場し、剣豪小説とはいっても宮本武蔵ものや、江戸時代の剣術小説などとは少し色合いが戦乱期的であり、これはこれで面白かった。
登場人物には、武田信玄の軍師になる山本勘助や、私が住む石川県は加賀の剣客・草深四郎(普通は草深甚四郎と書かれることが多い)なども登場してくる。
津本氏は石川県関係の歴史人物を前田利家他幾人か描いているが、この草深四郎については呪術をも用いる破邪の剣使い、卜伝が嫌悪を抱くような人物として描き、結構厳しい(評価の)描き方をしている気がした。
ただ私も草深甚四郎をあまり好きでなく、このように書かれても仕方ないかなとういう気がしている。
また山本勘助が一時期、塚原卜伝の弟子になり、何と安芸の宮島あたりまで従いていったりする話が出てくる(真偽のほどは知らないが)。
色々な意味で面白い歴史時代剣豪小説である。
娯楽時代小説ファンにはお奨めの一冊である。