<百字紹介文>
北方三国志の第7弾である。三国志の最高の山場・赤壁の戦いが出てくる。諸葛孔明と周瑜が智謀をふるい、多勢で圧倒的な力押しをする曹操軍を敗退させる場面は、まさに三国鼎立への転換点であり最重要シーンである。
<詳しい紹介文>
三国志の一番の山場といえば、誰しもが赤壁の戦いというだろう。何せ三国志の中のスター級の役者が揃っている。
劉備側では、関羽、張飛、趙雲、諸葛孔明、孫権側では周瑜、魯粛、黄蓋、甘寧、韓当、凌統、曹操側では、(曹操以外あまりスター級はいないが)許褚、徐晃、蔡瑁、曹仁、曹洪、夏侯淵、夏侯惇など。
あとは、孔明などの軍師の登場によって、あの手この手の策略合戦の見所も多い場面であることも面白くしている要因だろう。
しかし今までの巻同様、この巻でも、北方氏は有名な場面を数箇所あえて削除している(削除という言い方が行き過ぎなら書き換えている)。
例えば、多くの三国志では赤壁の激突の前に、孔明の策略で、霧の日に藁を一杯被せた艨衝を曹操の艦隊近くまで接近し騒ぐことにより、曹操側に弓矢を多数射させている。
曹操軍は霧のため見通しは効かぬが、声のする方向へ矢を大量に射る。藁で覆われた艨衝船はその矢をハリネズミのように受けてとって帰るのである。
矢数が少なかった孫権劉備同盟軍は、それによりまんまと多数の矢を得るという話だ。
この小説の中でも、一応は霧の日に曹操軍に接近するという話はあるが、小手調べをするというだけの話で終わっている。
また北風が吹き続けている状況を変えるため、諸葛孔明が七星壇という祭壇を設けて、風向きを変える祈祷を行うという話も三国志では必ずといって登場するような有名な場面である。しかしこの北方三国志ではそれさえも描いていない。
さらに言えば、赤壁の戦い以前に、劉備軍の孔明と並ぶもう一人の軍師・龐統が登場していないといけないが、この小説では赤壁の戦いが終わった後(この第7巻の巻末近くになって)やっと登場する。
多くの三国志では、火攻めの策の効果を高めるために、龐統が「連環の計」を思いつく。相手方曹操軍の艦隊を、波の揺れから防ぐいい方法として鎖で繋がせ、火攻めの時に延焼を早めるという策である。
しかし龐統が赤壁の戦いの前に登場しないので、話の中では曹操側が自主的に船同志を繋いでいて、結果的に同じような効果が現れたような話にしてある。
この石頭関の戦い(赤壁の戦い)で曹操軍は、孫権・劉備連合軍に大敗するが、見方の拠点・江陵まで何とか逃げのび、命拾いをする。
曹操軍に勝った孫権軍だが、大将軍たる周瑜が、その後、病気にかかり、体が徐々に衰えていく・・・・
赤壁の戦い以降、劉備軍は曹操の領地に近い荊州の北側へは向かわず、長江より南の地域へ支配地を広げていく。
そのため同盟者である孫権側と次第に確執を深めるが、この時期一番の敵である曹操を前にして同盟者同志の争いは御法度だ。
劉備軍との同盟関係継続を考える魯粛などが画策し、孫権の妹が劉備の後妻として(劉備の正妻は先頃に亡くなっている)入ることになる・・・
まあ第7巻はこういった内容だ。
北方三国志は、戦略ほか、解釈的な部分ではかなり独自色もあるように思うが、全体的な流れでみれば、取分け意外な展開を見せる訳ではない。
北方氏は、マンネリが嫌いなのだろう。
私としては講談で十八番のような場面は、それなりに採り入れてもらいたいと思うのだが、皆さんのお考えはどうであろうか?
またこの巻の巻末近くで、後に曹丕が建てた魏さえも乗っ取る司馬懿(仲達)が登場する。曹操は、有能だが暗い感じの司馬懿に何かしら不吉なものを感じる。が同じく暗い感じの曹丕とは相性が合うかもと思い彼の補佐役に付ける・・・。これまた暗い将来を予感させる。
次巻は、劉備軍の益州侵攻の話かな?
赤壁の戦いというピークを迎えた三国志は、これ以降「後半」と呼ぶべき展開になる。
英雄が一人また一人と消えていく。
水滸伝も、後半は英雄が次第に消えていくが、三国志ではその後現れる英雄が次第に小粒になっていく感じだ。
兎に角、以降悲愴な話が多くなる。
しかしここまで読んだら、最後まで読まざるを得まい。
皆さんも、出来たら最後まで付き合っていただきたい。
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