<百字紹介文>
生涯12万体もの仏像を彫った謎の仏師・円空。57年間円空研究一筋で、円空学会も立ち上げ、今はその理事長もしている円空研究第一人者・長谷川公茂氏の最新著書。最新研究成果も多く盛込み円空ファン必読の書だ!
<詳しい紹介文>
円空には、非常に興味がある。
私が興味を持ちだしたのはそれほど早くはないが、今から7年ほど前『円空鉈伝』(古田十駕著・幻冬舎)が最初である。若い頃から役行者や泰澄といった行者に非常に興味があり、仏師としての関心もあったが、最初は修験者という側面の方により関心があった。
その本『円空鉈伝』は、作者の想像なども加えての円空の生涯を描いた小説であった。天台宗の修験者としての側面も結構描いていた記憶がある。特に出生などに関しては、かなりフィクションが多いのではなかろうか。
その後、彼に関する本で一通り読み通したのは2冊。
この本の著者でもある長谷川公茂氏と後藤英夫氏及び三山進氏の共著である『円空巡礼』(新潮社(とんぼの本))、それに『微笑の円空仏を訪ねる旅』(美と旅の雑誌SUN MOOK・大日本絵画巧芸美術㈱)である。この2冊とも写真が豊富で、解説も多く、興味をさらに増すこととなった。
兎に角、円空仏を見ればみるほど、その虜になる。
しかし私はまだ写真以外では実物は見たことはない。円空仏所在地マップを見ると、現在の岐阜県羽島市出身のため、(私が住む石川県と)同じ中部地方に沢山存在している。
幾つかの場所では、円空仏を公開している施設もあるようなので、機会があれば出かけて見てみたいと思っている。
円空仏は、時代によってその作風はかなり異なっている。初期の柔らかな曲線の丁寧な仏像もいいし、40歳を過ぎて自由奔放な仏、例えば木っ端仏のような簡素なものもいいし、如何にも鉈一本で造られた荒削りの仏もいい。どれもこれもみんないい。
生涯に12万体の造顕を悲願して、彫刻を始めた寛文3年(1663)32歳から27年後の元禄3年(1690)には、10万体の造仏を成し遂げ、さらに亡くなるまでに2万体以上造仏し、元禄8年(1695)7月15日に64歳で入滅している。
この本の著者長谷川氏は、やはり円空仏の微笑に魅せられ、昭和30年以来半世紀以上研究を続けてこられた方だ。1971年には円空学会を立ち上げ、十年後の1981年からは同学会理事長を務めている。
以前読んだ本(例えば長谷川氏も共同執筆者となっている『円空巡礼』)と比べると(内容はしかと覚えている訳ではないが)、研究がかなり進み、新たな新発見の話が多かったような気がした。
記憶違いかもしれないが、以前の本では、円空の和歌や書画はそんなに紹介されていなかったと思う。
今回、円空の和歌が千七百余首もあると聞いて、ちょっと驚いた。
円空は、幼い時に木曽川の洪水で母親を亡くしたらしい。母ひとり、子ひとりの家族であったため、なかなかその事実を受け入れ難かったのであろう。また無常観を感じたのであろう。それを契機に幼くして僧籍に入ったようだ。母の菩提を弔い、何としても成仏してほしかったようだ。
『円空歌集』に次のような歌もある。
わが母の 命に代わる 袈裟なれや 法のみかげは 万代をへん
あの世の母を思いやり、心の奥底から願う供養の気持ちが感じられて非常にいい句だと思う。円空の歌はほとんど皆、御仏に関するものだが、ホント素直でいい歌である。
母を亡くしたのは、7歳の時にあった洪水での可能性が強いらしいが、実はその後、31歳まで生活をうかがう資料は今のところ何も見つかっていない。
青年時代は、中部の白山や伊吹山、濃尾連山などで修験者の修行を重ねたらしい。その後、北国へ向かい、東北や北海道へ修業のために渡り、その後、東北や関東、中部、関西と色々巡ったようだ。
僧籍でもあり、また当時から結構仏師として名も知れていたようで、よく知られている造仏して寄進するという行為の他、経典を修復したり、法隆寺や三井寺他の高名な寺に立ち寄り、修行して、血脈相承を受けたりもしている。
今回の本では、私が今まであまり知らなかった円空の姿を知り、更に更に興味が増した。
ここ数年、私だけでなく円空ブームが結構起こってきたような気がする。
彼に関して書かれた本も多く見かけるようになった。
今後も彼に関する本など、図書館などで見かけたら、出来るだけ読みたいと思う。
勿論、その際はここでも紹介していきたい。
(この記事は、七尾市立田鶴浜図書館から借りてきた本を参考に書いています)
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