<百字紹介文>
逢坂剛氏が、あの「鬼平」として有名な長谷川平蔵(江戸時代の火付盗賊改方長官)を描いた小説だ。逢坂氏は、同じく火盗改方長官となった事もある近藤重蔵も小説化しているが、平蔵には特別の思い入れもあるようだ。
<詳しい紹介文>
タイトルにある平蔵とは鬼平こと長谷川平蔵のことである。
長谷川平蔵といえば彼を主人公にした池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』が、以前テレビドラマ化されたり、漫画化され広く人気を集めたから、20代以上くらいの人はほぼ皆御存じであろう。
私も今から30年程前、テレビドラマ(フジテレビ系・2代目中村吉右衛門主役)で興味をもったのが始まりで、池波正太郎の『鬼平犯科帳』も二十数巻全部読破した(中には2回以上読んだ話もある)。
池波正太郎氏は私の大好きな作家の一人である。
逢坂剛氏も『重蔵始末』シリーズをはじめとしてこのブログでも幾つかの作品を紹介してきたが、好きな作品の一人である。
では逢坂氏がなぜ長谷川平蔵を小説化したのか。それに関してはこの本の帯紙にコメントしてある。それによると、何と逢坂氏の父親で挿絵画家である中一弥氏が、『鬼平犯科帳』を『オール読物』で連載中に、挿絵を描いていたのだという。
そんな関係から逢坂氏も、長年にわたり『鬼平犯科帳』の読者であり続け、今度は自ら「長谷川平蔵」を主人公に書くことにしたらしい。
平蔵を描くと言っても、逢坂氏も流行作家であるだけに、池波氏とは違った平蔵像を描きたいはずだ。
よって長谷川平蔵以外は、登場人物は池波氏の作品と勿論違う。元盗人などを手下として使うのは同じだが、手下の者の名も、与力や同心の名も違う。
またこの逢坂氏の平蔵の特徴としては、奉行所以外ではほとんど素顔を明かさないということであろう。平蔵が見回りにでる時は、一人か供の者1人つける程度で巡回するが、その際の格好は、ほとんど深編笠を被ったまま、捕物に出る時も、革頭巾をかぶったままで見えるのは目の穴フタツだけ。
その辺は、池波作品もあまり異ならないが、以下が違う。
火付盗賊改め方に捕えられた犯罪者らの裁きの仕方だ。軽微な者の場合には配下の者たちに任せるが、彼が直接吟味に当たる事件に関しては、彼の素顔を見た者は(鬼平が手下として使えそうだとして生かした者以外は)決して娑婆に戻る事はないという。つまり彼が直接裁く事件は、皆死罪か獄門になるのだ。
あと一つ大きく違うのは、平蔵が実際の採りもので影武者というか、別の者に平蔵を演じさせることがこの小説では非常に多いのだ。
盗人らが「とうとう平蔵の素顔を見たぞ!」と思っても、実際は配下の与力同心らが平蔵に変装している場面がほとんどだ。
その設定に拘り過ぎて、展開が少し不自然の気がした。つまり、泥棒を捕まえるのに、配下の者に平蔵役をさせ、自分は他の者に変装するなど芝居じみた事をほぼ毎回するのだが、失敗の可能性もあるのに、そういう事をわざわざするかな??・・・・やっぱり不自然だ!という感じ。
その辺を気にしなければ、逢坂作品と知らずに読めば、池波正太郎氏の鬼平と間違えるかもしれないぐらいの出来だ。逆にいうと、上記の特徴以外、あまり新鮮な平蔵像はなかったように思う。
まあこの辺は、読者の感じ方次第かもしれない。
逢坂ファンでありながら、今回は少し酷な批評であったかもしれない。
あしからず!
収録作品は、「平蔵の顔」、「平蔵の首」、「お役者菊松」、「繭玉おりん」、「風雷小僧」、「野火止」の6作品。
この平蔵のシリーズは、これ以降も続くのであろうか?
もし続くのであれば、今後を期待し次号以降も読んでみたいと思う。
(この記事は、七尾市田鶴浜図書館から借りてきた同書をもとに書いています)
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