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<百字紹介文> 比叡山延暦寺を創建し天台宗の開祖となった最澄の伝記である。南都仏教を嫌い、長岡京遷都と蝦夷地進出に失敗し理想を打砕かれた桓武天皇は最澄を見出す。彼は桓武の魂を救済しようと天台教学の普及に全力を挙げる。 <詳しい紹介文> 比叡山延暦寺を創建し、天台宗の開祖となった伝教大師こと最澄の伝記である。 平安初期のこの頃の宗教家といえば、真言宗の開祖となった弘法大師こと空海もいる。 後世、ライバル関係のように見られがちなこの二人。ともに延暦23(西暦804)年、同じ遣唐使の一行として大陸へ渡ったことも有名だ(ただし乗っていた船は異なり、波浪で船団はバラバラとなり、上陸地点は異なる)。 最澄の場合は、渡唐前に既に天台教学の第一人者として名を成していた。渡唐前は無名の僧が入唐するというのがそれまで普通だったから最澄の場合は異例。 これに対して空海の場合は、渡唐前は無名の僧だからその点では普通だが、どうやら不正規の僧のようであったから、どうやって渡唐の手づるを掴んだか、いまだに疑問点も多く、そういう意味では空海も特例的な一員といえなくもない。 当時からどちらかといえば空海の方が日本人には人気があるようだ。私も空海に関しては結構読んでいる。 では最澄はどうだったかなと、このブログで過去ログを調べたら 『伝教大師 最澄のこころと生涯』(渡邊守順著・雄山閣) 『(聖者物語6)比叡のあけぼの 最澄』(木内尭央著・日本教文社) の2冊が紹介されていた。2冊なら少なくもなかろう。 最澄の話は、空海の伝記などを読んでいると、必ず登場してくる。そういう意味では案外色々読んできたともいえる。 最澄は近江国滋賀郡古市郷(現在の大津の近く)に生まれ(俗名・広野)、その秀才ぶりを見込まれ、(国立の宗教大学ともいえる)国分寺入りする。彼を三津首百枝(みつのおびとももえ)の子なり一族と解する人もあるようだが、永井さんは必ずしも一族とは限らないのではないかとみているようだ。 師の行表のもと、宝亀11(780)年得度し、最澄と名乗る。その後、奈良の大安寺で修行し、延暦4(785)年に東大寺戒壇院で具足戒を授けられ、正式な僧となるが、時代は転換期。 実はその前年、桓武天皇が奈良を嫌い、長岡京へ遷都する訳だ。南都の大寺に一緒に遷ることは要求せず、公家・官人らだけ引き連れての遷都である。つまり南都の仏教勢力を嫌ったのだ。そして遷都の儀式なども中国風の天子の祭祀を行った。 南都に置き去りにされた仏教界には暗雲が垂れこめる。最澄も、衝撃を受けるが、故郷に帰った最澄は、国分寺も火事で焼失したことなどもあり、比叡山に山籠りする。 その頃日本の仏教だが、釈迦が生まれて千年ほどの間に様々な経典などが書かれ、それが無秩序に伝わり、仏教を体系的に学ぶのは困難な状態であった。 最澄は経典の勉強に没頭して天台教学の祖・智顗の教えに惹き付けられる。『法華経』をはじめとする法文の研究と瞑想による止観の実践にあけくれ、智顗が天台山でおこなった11年の山籠を見習い、それを超える12年の山籠を行う。 その最澄が比叡山の山中で修行している頃、桓武天皇は、長岡京遷都に失敗し、また蝦夷地進出も芳しい成果をあげられずにいた。理想主義に走りすぎ、現実を見る眼がイマイチだったようだ。 心機一転比叡山裾の葛野の地に都を遷す(平安遷都)計画が起こり、そのような経緯のどこかで最澄は桓武天皇にその存在を知られたらしい。 一般に最澄と桓武天皇の関係は、桓武を最澄の庇護者のみとして捉え、面識を得たことで最澄が天台宗を広める機会を得たように思われがちだが、永井さんは、事実はその逆で、救われた方は桓武の方だという。最澄と桓武、心から縋り付くように相手を求めたのは桓武の方であって、最澄はその魂の救済に全力をあげたと述べる。私も納得した。 この後 最澄は、日本における天台教学を完成させようとさらなる経典などを求め渡唐する訳だが、桓武天皇は次第に体調を崩し、最澄が近畿に戻る前に亡くなってしまう。 桓武天皇崩御後、最澄は空海から密教の経典を借用しようとして、二人の間の関係を決定的に悪化させたり、弟子達を南都寺院等にとられてしまうことから天台宗に梵網戒を授ける権利を確立しようと南都寺院と授戒権をめぐって対立したり、東国の法相宗の僧・徳一などとの論争など色々あり、天台教学を広めようとする彼の願いは前途多難。 最澄の性格的問題もあったようだ。12年も比叡山に山籠するのはいいが、そのせいか娑婆知らずというか、真面目すぎて論争(法論)などでズレが生じても気がつかない。相手のホンネは何かなど考えず、仏教の本質論みたいなもので議論するありさま。私も読みながらついつい‘そんな言い草じゃ相手も妥協する訳ねえだろ’と突っ込んだ程だ。 最澄自身に問題があったのも確かだろう。が、空海ほど天才性は無かったにしろ、法然、親鸞、日蓮、道元…鎌倉仏教の各宗派の祖の学んだ比叡山延暦寺開山の人物だ。その後の影響力を振り返れば、むしろ空海より大きな影響を後世に与えてきたとも言えなくもない。 今後も最澄に関する本は機会があれば読んでいきたいと思っている。 お薦めの一冊です。 ←ランキングに参加しています。
by une_genzaburo
| 2012-02-09 11:31
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