今から5年ほど前に、
『法隆寺を支えた木』(西岡常一・小原二郎著・NHKブックス)という本を読んでから、法隆寺お抱えの宮大工棟梁・(故)西岡常一氏と、その唯一人の弟子・小川三夫氏のファンになった。
ただし彼らを知ったのは、もっと前だったと思う。多分NHKの取材番組でみたのが初めてだ。その時も確か興味津津で見ていたように思うが、その本を読んでからは完全にファンになってしまった。
他の宮大工・
松浦昭次著『宮大工千年の知恵-語り継ぎたい日本の心と技と美しさ』(祥伝社)という本も読んだが、西岡・小川師弟と比べると、イマイチという気がする。
以前、西岡・小川師弟に関わる本で、読んだものを挙げると、
○『法隆寺を支えた木』(西岡常一・小原二郎著・NHKブックス)
○『木のいのち木のこころ<天>』(西岡常一著・草思社)
○『木のいのち木のこころ<地>』(小川三夫著・草思社)
○『木のいのち木のこころ<人>』(塩野米松著・草思社)
この本では、それらの本と重なるところは多い。例えば小川氏が、西岡氏に弟子入りするまでの話などは、私が以前読んだ上掲の本の方が詳しい。また西岡棟梁の事に関しても同様だ。
この本では、技などは、頭ではなく体で覚えろといっている小川氏が、自分が起こした宮大工の会社・鵤工舎を引退し、後に続く者に譲るのを機会に、それでも語り伝えられる事は語っておこうと書いた本のようだ。
帯紙にも書いてあるが「組織は一度は栄える。しかし必ず腐り始める。いつまでも俺が棟梁ではあかん。一番腐るのは上に乗っているリーダーからや。今は俺が席を譲る番や」と小川氏は言う。同じ技術者・リーダーだった本田宗一郎の言葉にも不思議と似ている。
宮大工の仕事というものは手取り足とり教えるのではなく、手本なども弟子としての長い修業期間に、一度だけ、例えば鉋(かんな)引きで手本を見せるだけ。アドバイスするのも、弟子の仕事を見ていて、一番いいと思えるタイミングを見計らって、一度ちょっというだけ。
宮大工の修業も、要らぬ事は考えぬよう、雑念を捨てて集中するためにも棟梁と1つ屋根の下で共同生活をするのがいいという。昔普通に行われていた徒弟制度のあのやり方だ。
その修業が出来るような人物だと、口で特に教えなくても、自然とどういう風に修業するばいいとか、宮大工に必須の刃研ぎに集中できるし、また親方の側でも弟子の癖などがよく観測出来ていいという。
こういうのを読んでいると、人によっては昔堅気のやり方で、古臭いと思うかもしれない。私も、このやり方で本当に今でも若者がやれるかなあと要らぬ心配もしてしまうのだが、書いてある事は、納得・感心させられることばかり。
何ともいい言葉が随所に出てくるのだ。いや、随所に出てくるというより、小川氏が自然に体臭を発散させるかのように、素のままで経験を語る言葉全てに魅せられ、惹きつけられるのだ。
できればこういう文化が若い世代に見直され、ある程度復活するのが相応しいとも思ってしまう。
職人・技術者というものは、本などのメディア(媒体)から学ぶのも重要だが、一番多く学ぶのはやはり現物・現場からだと思う。私も一応、修理業の職人といううか機械の技術者だからその事を切実に感じる。
小川氏は、「手考・足思」(仕事の中で手で考え、動きながら物思う)という面白い言葉を使っているが、私も同感である。
人を育てるには、多少未熟のうちに1つの仕事を責任を任せて与えるというのも納得だ。私もそうやって成長してきたように思う。いや私の方から、(時には親の助言なども退けて)進んで新しい仕事に挑戦したり、先輩・親父の助力をできるだけ借りぬようにした。壁にぶち当たった時は、寝るのも忘れてとことん考えたり、本で調べたりして更に考え試行して乗り越えてきた。
できない事を手伝ってもらうのは楽である。が、できない事は手伝ってもらうといういつまでも依存的な考えをもっていては成長しない。
だからこの本では、今の教育のありようとは正反対のような言葉も出てくる。
「今のこどもは、学校で教わってきたことしかできないな。教えてくれねえからわからねえというのでは、とてもとても何も任せられねえわ。で、失敗したら「俺は、知んなかった」って。そんなのはあきれてものを言えねえやんか。」
この本には、現代の常識(例えば教育とか物に対する考え方など)はあきらかに違う、現代人が効率の名のもとに忘れてきた奥深い知恵が語られているように思う。
法隆寺お抱えの宮大工の唯一人の弟子でありながら、お抱えという枠を離れて鵤工舎という宮大工の会社を立ち上げ試行錯誤の中で、彼なりに伝統の技と心を伝える努力を続けて確信して語っている言葉だけに、全ての言葉にじーんと胸にひびくものがある。
私のような職人に限らず、全ての人に色々な意味で為になる、考えさせられるいい本です。
お薦めの一冊です。
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