この本は、和辻哲郎氏の主著の一つ『日本精神史研究』の核心部、つまり道元に関わる一部を独立させた本であるそうだ。
和辻哲郎の主著の一つと書いたが、今回『日本精神史研究』なる本があることを私は初めて認識した。これを読む以前は、和辻氏といえば『風土』、『古寺巡礼』くらいしか知らなかった。
そのうち『風土』は学生の頃、読もうとしてとりくんだが、1/3程度まで読んだところでやめてしまった記憶がある。理由は覚えていないが、恐らくまだ学識も浅く経験も少なかった若造には理解力を超えたところがあったのだろう。
今も我家の本棚の片隅にその岩波文庫版の本はあるので、機会があればまた挑戦してみたいと思っている。
私は学生の頃から禅には、非常に興味があった。昨年
立松和平氏の小説『道元』の紹介文を書いた時にも、述べたが鎌倉の建長寺で、尊敬する地元石川県の偉人・鈴木大拙を真似て参禅したこともある。
でも今この本を読み終えた時点で考えてみると、曹洞宗や道元、禅についての理解が未熟で、雰囲気的なもので憧れていたような気がする。
ここ20年ほどは本なども色々読んで、教義や思想なども少しは理解したつもりでいたが、それもこの本を読んだ上で考えてみると、まだまだ表面的な理解で知ったかぶりをしていたように思う。
禅といっても、曹洞宗と臨済宗・黄檗宗との間には黙照禅(曹洞宗)と公案禅(または看話禅)(臨済宗)の違いなどあることは知ってはいた。石川県は禅宗は、曹洞宗の寺がほとんどだが、関東に住んでいた時、宋朝から来日した蘭渓道隆や無学祖元などに興味を持ち、臨済宗について色々読んだ。私はそれ以前から曹洞宗にかなり興味があったので両者を比較して、その辺の違いを理解したつもりでいた。
しかし今回この本を読んで、自分がいかに曹洞宗やその祖・道元について理解が足りなかったかあらためて認識した。勿論、この本の巻末の解説で頼住光子女史が言っているように、必ずしも和辻氏のこの本に書かれた解釈は、画期的なものがあるとはいえ全面的支持を得ている訳ではない。
それでも曹洞宗僧侶の多くの者さえも忘れてしまったような道元の思想の根本的な部分をあらためて指摘した内容などは、やはり道元や曹洞宗を正しく認識するために再確認されるべき事柄であろう。
道元が、世間的価値の一切を放擲して、虚心なる仏祖の模倣者となることを求めたとか、彼は、念仏宗がしたような「自己の救済」は目的とせずに、「真理王国の建設」を目的にしたとか、修行の方法や目的に関する内容は、この本で詳しく知った事柄も多かったが、それほど驚きはなかった。
また親鸞と道元の対比で、(ここでは詳しく述べる余裕は無いが)、両者に著しい違いがあると同時に、突き詰めれば両者は根源的に(中核のところで)一致するという内容も、非常に分かり易く興味が尽きないものであったが、驚いたという程でもなかった。
この本を読んで意外な驚きを感じた多くはは、第9章の「道元の「真理」」の内容であった。
道元によれば、真理を修行体得しようとするものにとって、第一に重要なのは導師であり、正しい師に面接し、「人を見る」のでなければ、求道者は永遠の理想は把握できない。第二には重大なのはこの師に従い、一切の縁を投げ捨てて、寸陰を惜しんで精進弁道すること。生涯の修行功夫を続けながら、面授面受によって道得(どうて)していくというこの考え方は、人間の努力の価値を認め、そういう意味では真宗よりも人間的というか親しみやすい教えのように思えた。
ただし私が今まで誤解していた(驚いた)というのはそういうことでもない。禅の思想というと、不立文字や只管打坐(または専心打座)がすぐ浮かぶ。今でも禅宗(特に臨済宗、黄檗宗)は、不立文字、教外別伝を標榜し、座禅と公案を特に重んじる。
道元も勿論座禅を力説したが、和辻氏によれば、彼は禅宗のこの種の特殊性を認めなかったし、また禅宗という言葉さえも道元は力強く斥けたというのだ。
「諸仏諸祖は必ずしも禅那をもって証道したのではない。禅那は諸行の一つに過ぎぬ、禅那は仏法の総要ではない。仏々正伝の大道をことさら禅宗と称するともがらは仏道を知らないのである。諸仏祖師の何人も禅宗とは称しなかった。」
道元は『正法眼蔵』という浩瀚な本を著しており、言語による理解を軽視した訳でも排斥した訳ではなく、道元の思想における論理的傾向がともすれば忘れられがちなのだという。
彼の文章は、和辻氏にしたがえば、(文学的な修辞を嫌っただけでなく)非常に論理的であり、彼の(詳しく述べないが)「葛藤」の考え、修行者が修行の課程で千差万別の形で現れる道得(どうて)の前で、矛盾し撞着する状態を、さらなる修行で解脱することを説いてある辺りは、イデーの弁証法的展開に近いという。
まだまだ私が驚いたことは色々あり、書き足りないが、もうそろそろ自己規制している文字数に達しつつある。
何ししても得るところの多い書であった。
もう何度か再読して、道元及び曹洞宗に関する理解をさらに深めたいと思う。
お薦めの一冊です。
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