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哲学書は、あまり読まないが、昔からこの田中美知太郎さんの本は、時折読んでいる。 哲学関係の本で読んだものの半数近くは彼の著作かもしれない。 要は読んでいる数が少ないだけ <(^^;; 巻末の解説にも書いてあるが、田中さんは「哲学を難解な言葉から解放し、平明な文章で一般の読者に話しつづけてきた方だ。」 私の母校でもある高校は、西田幾太郎が大学卒業後、最初に教壇に立った学校である。そういう事もあって、私も西田幾太郎の本『善の研究』などに何度か挑戦したことがあるが、読了できた本はない。 この田中美知太郎氏は、京大に入学した時、当時既に有名だった西田幾太郎が京大にいて、授業も行っていた。しかし田中氏自身は「波多野精一教授ギリシャ原文で、プラトンやプロティノスの演習をしているのを知り、このような勉強ができるのは京大以外にない」と考え、京大に入ったのであり、西田氏を憧れて入ったのではない。 むしろ田中氏は西田氏に批判的でさえある。彼は、西田氏の授業を「人数ばかり多い教室での」学生の機械的な訳と、だらけた演習に腹を立てねばならなかった」と回想などしている。 田中氏は、平明な文章での哲学をめざし「研究室や教室の内にだけしか通じないような哲学は、どこか狂いがあると言わなければならないだろう」とも述べている。 そして次のような面白い文章で、日本哲学の現状を批判している。 「どうもわが国では、訳者が知っている書物を訳すというよりは、よく知らない書物を、これから勉強するために訳すような場合が多いのではないか。 こんなおつき合いは、読者にとって、迷惑千万なことだといわなければならない。 なかには、訳者の功名心と出版社の打算の合作というべき、とんでもない翻訳があったりする。とにかく、理解の筋の通っていない翻訳というものは、哲学の場合などでいえば、せっかくの読者の希望を、無慙に打ちくだくことが多いわけで、有害無益といわなければならないだろう」 上で指摘されていることは、別に哲学に限ったことでなく、日本の学者の間の通弊といっていいかもしれない。田中氏はさらに日本の翻訳文の悪弊をこう痛罵する。 「わけのわからない悪訳を攻めるよりも、わが国の哲学文書に氾濫している、わけのわからない言葉を、いい加減にのみこんで、いわば手探りで、これを用いていて、少しも迷いを感じないような、一種の糞度胸もしくは無神経のごときものが、わが国で哲学する人間の習性となっていると言っても、おそらく過言でないだろう。あるいはむしろそれが、哲学上の議論家にとって、欠くことができない必須条件だと言った方がよいかもしれない。」 もう率直な指摘に、腹をかかえて笑わずにはいれない。 さて哲学入門とあるからには、哲学とは何かが語られねばならない。 この本では、哲学は何かということ、哲学の根本問題とは何か、を特に「哲学とその根本問題」の章で素人でも、かんで含めるように、分かり易く説いている。 何となくそれらを感得は出来たつもりでいるが、この本で読んだ内容をまとめて正しく説明せよと言われれば、ちょっと自信がないので、ここではあえて説明しない。 ところで私は、この本の一節を読んでいて東北関東大震災の二次災害として起きた原発事故のことを思い出してしまった。 著者は、ソクラテスの考えに従えば、「知る」ということは「行う」ことになり、そうならない知は、「知」にならない。医学の知識、建築の知識など・・・・の知識は、技術として存在する。哲学は、それらの技術の技術という形で存在すると述べる。 そしてその後、「技術としての哲学」についてその意味合いを述べながら、次のように、現代技術の批判を行っている。 「現代は驚くべき科学技術の進歩をみた時代だと言うことができるでしょう。しかしその技術の進歩は、へたな魔法使いが自分の魔物の処理に困ったという話にあるように、もはや私たちの手に負えなくなったのではないかということが、原子力の問題などにも見られますように、今日最も困った問題になっています。もともと技術というものは、わたしたちの役に立つ知識という意味をもったものなのです。 ものをつくる仕事に結びついた学問的知識というものが、一つの技術であるということを、はじめにもうしましたが、しかしそれが何の役に立たないものをつくりだすとか、わたしたちに有害なものをつくりだしたら、わたしたちはそれを技術と呼ばないでしょう。・・・(中略)・・・技術はわたしたちの役に立つ性質をもっていなければならない。」 この文章が書かれたのは、私もまだ生まれていない昭和30年だ。 今まさに、「今日最も困った問題になっ」てしまった事柄が最悪化してしまった状況だと思う。 田中氏はまた次のような言葉も述べている。 「使用の技術、一切を使いこなす技術としての哲学の立場というものは、非常に重要になってきているといわなければならないでしょう。それは少し大袈裟に言えば、現代文明の危機を救うといいますか、打開すると言いますか、とにかくそういう重大な仕事が課せられているのだということにもなります。 つまり技術が進歩して、かえって私たち自身のコントロールが利かなくなった、この現代の困難な状況のもとにあって、私たち自身の自主性をとりかえすという仕事が、誰の目にも必要であり、大切な事であるとみなされるでしょう。」 田中氏はそう主張してきたかもしれないが、その叫びは届かず無視された。その後50年以上も、私たちの自主性を取り戻すこともなく、陥った事態が今回の原発事故ではなかろうか。 現代は(特に日本社会は)、私からみて、どの分野にも大した批評家はいなくなってしまった。ある分野を代表する学会のリーダーも、昔の思想家と比べると2流、3流レベルのような気がする。「哲学の貧困」という言葉があるが、その貧困化が大きな一因であるように思う。 哲学は何の役にも立たない学問どころではなく、色々な問題に直面した場合、問題を根本から究極的に見詰め直す人間に必須な学問だと思う。 社会全体で、世界全体でそういう機運も盛り上がる事が、地球の危機と繋がる21世紀の種々の問題を打開する契機になるように思う。 偉そうな事を言ってしまったが、自分も大した人間ではない。あまり他人の事は批評できない。この本をあと1,2回機会を見つけて読み、またもっと哲学も勉強してみたいと思う。 お薦めの一冊です。 【参 考】 当書の目次を参考のために記す ●モームの哲学勉強 (『新潮』(昭和30年)11月「思考の遠近」九) ●関東大震災のころ (『諸君』(昭和45年)3月「時代と私」九) ●京都での学生生活 (『諸君』(昭和45年)3月「時代と私」十) ●哲学とその根本問題 (NHK教養大学(昭和30年)4-5月 通信教育大学講座7巻「哲学」)など ●科学史の視点 (『哲学体系』3 人文書院(昭和38年))など ●解説 ←ランキングに参加しています。
by une_genzaburo
| 2011-06-27 16:57
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