私は、日本の理科系ノーベル賞受賞者が書いた本(またはその人の業績に関して書かれた本)をできるだけ読むようにしている。これぐらい心掛けないと、科学書など理系の本が好きでも、小説などと比べれば理科系の本は疎遠になりがちになるからだ。
科学に興味を持ち続けるには、日本人のノーベル賞受賞者の業績に注目し学ぶだけでもかなり勉強になり、いい方法だと思う。
一昨年8月に
『クラゲの光に魅せられて-ノーベル化学賞の原点-』(下村脩・朝日選書)を読んだが、こちらはそれよりかなり詳しい感じだ。
詳しいといっても、下村氏の研究成果の生物発光の説明が、より専門的という意味ではない。その傾向も多少あるが、それよりこちらは自伝的色彩がかなり強いように思う。
下村氏は日記でもつけているのだろうか、何十年も昔のことが、時として月日の何時頃かまで分る程度に詳細な思い出が綴られている。
前掲の本でも書いたが、下村氏の受賞の対象理由は、緑色の蛍光タンパク質GFP(Green Fluorescent Protein)の発見だが、下村氏自身は、それよりオワンクラゲから抽出した発光物質イクオリンを生涯の中で一番重要な研究対象と考えているようだ。
下村氏の戦前の(旧制)中学くらいまでの成績は意外と悪く、下から数えて数番目というような時期もあったようである。その後次第に良くなったようだ。学徒動員され、動員中に原爆を目撃。幸いにも大した怪我にも後遺症にもかからず、1948年長崎医科大学付属薬学専門部に入学、1951年(主席で)卒業すると、実験実習指導員として学校に留まる。
1955年内地留学の機会を与えられ、名古屋大学理学部の平田義正教授の研究室研究生となり、ウミホタルの発行に関わるルシフェリンという有機化合物の精製を課題として与えられ、翌年ルシフェリンの結晶化(精製化)に成功する。
これがその後、下村氏が生物発光を生涯の研究、ライフワークとする機縁となったようだ。
その際の英語の論文が海外の注目を集めたのだろう。プリンストン大学のフランクHジョンソン博士から誘いを受け、フルブライト留学生として渡米、プリンストン大学研究員となる。
ジョンソン博士のもとで、一緒にオワンクラゲからルシフェリンとそれ発光させる酵素ルシフェラーゼを抽出する研究に取り組むが、なかなかうまくいかない。
(当時は生物発光は皆、この2物質の反応によると思われていたらしい)
下村氏は、オワンクラゲが体内にルシフェリンとルシフェラーゼを持つという考えは間違いの可能性が有り、どんな物質でもいいから発光する物質を取り出すことをジョンソン博士に提案。一時期ジョンソン博士と仲がしっくりしない状況になり、それぞれ別のやり方で取り組むが、下村氏がオワンクラゲから発光物質イクオリンを抽出するのに成功すると、以後ジョンソン博士は、下村氏を認め全面的に協力するようになったという。
イクオリンの抽出の際には、その後ノーベル賞受賞の理由となる蛍光たんGFPも発見した話が出てくる。だが下村氏は言う、イクオリンはあくまで副産物として発見したもの。オワンクラゲが緑色に光るのは、GFPがイクオリンによる発光を緑色に変換し蛍光するためという。
GFPの発色団がペプチド鎖中にあったため(発色団の中でもこれは特殊らしいのだが)、後に研究が進むと、クローン生産が可能となり、蛍光する性質が目印的に利用することにより、色々なバイオ研究の観測に応用され、大きく注目されることになった訳である。
下村氏自身が言うように恐らく生物発光に関しては、彼が世界で一番色々と調べている化学者だけに、ウミホタルやオワンクラゲの他にも、色々な発光をする生物に関しても、この本では簡単に紹介されている。ホタル、発光クラゲ、淡水笠貝・ラチア、ツバサゴカイ、ホタルイカ、渦鞭毛虫、ウロコムシ、発光ヤスデ、発光クモヒトデ、発光キノコ・・・・。
フルブライトの留学が終わった後、帰国し一時期名古屋大学でも教えていたようだが、1965年に再渡米。1981年以降はウッヅホール海洋生物学研究所(MBL)で研究、2001年そこを退職している。
巻末の方では、2004年辺りから次第に注目されだし、色々な賞を受賞するようになった話や、ノーベル賞受賞騒動、その後の話などが書かれている。
自伝的本なので、家族のことも勿論載っており、コンピューター界では有名な息子・努の話も出てくる。努がFBIと協力して、某所の情報を盗み出したハッカーを捕まえた有名な話も載っていた。
ベンゼン環など含んだ化学式や実験図なども時々参考に載っているが、別に化学的(科学的)知識が大してなくても十分読める内容である。
素直に偉人の伝記として読めばいいのではなかろうか。
お薦めの一冊です。
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