タイトルから推測してよく聞いたことのある仏教の言葉が出てくるのかと思ったが、そうでもなかった。
我家の宗旨は、浄土真宗(大谷派)だが、例えば親鸞の有名な言葉など出てくるのかと思ったが、真宗関係では、唯円『歎異抄』の中から1つ、蓮如の言葉も確か,3つあったと思う。法然の言葉も2、3あったような気がする。
比較的多かったのは、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗などといった禅宗関係の言葉や、中国の大乗仏教関係の書物からの引用が多かったように思う。石川県には馴染みの深い螢山禅師の言葉もあった。日蓮の言葉も幾つかあった。
別に真宗の言葉が少ないからダメだと言うつもりはない。私も禅宗は好きだし、大乗仏教の言葉もいいし、最近は小乗仏教の言葉もいいなあと思っている。
大体どういう言葉が書かれているか?だが、やはりそれぞれの言葉を紹介しないと傾向は説明し難いが、あえて概略的に説明するなら目次を参考にするしかない。
当本は5章からなり、1つの章に10の言葉が書かれ、全体で50の言葉が書かれている。
第1章「たゆまず歩めば願いは叶う」
第2章「悩みを吹っ切れば。将来は明るくなる」
第3章「考え方を変えると、人生が変わる」
第4章「心の安らぎを得れば、幸せになれる」
第5章「怒りをおさめれば、人となかよくなれる」
実は、この本は「本が好き!」というコミュニティサイトから書評を読むことを条件に献本してもらった本だ。この本を読む前に他の本を読んでいたので、私が読む前に母親が先に読んでしまった。
母親の感想を聞くと、母親つまり私の祖母から教わったような話が一杯出てきたという。
祖母は田舎の農家の出で、碌な教育も受けていない。だが母が祖母から聞いた話は、法然や親鸞あたりの言葉も入っていただろうが、どうもそれだけでなく他の言葉の幾つかも同様に諭されたことがあるらしい。
昔はお経の教えなど仏教の話が今以上に語られ実践されていたのだろう、母親は祖母の教えの確かさにあらためて感心したような感想を述べていた。
私は予想に反して初めて聞く言葉が多かったので、意外な収穫をした感じである。
先ほど目次の各章のタイトルなどを参考のために紹介したが、やはり分かり難いだろう。
私が特に心に残った言葉など、幾つか出ていた言葉を紹介したい。
「人のうえばかり見て
我が身のうえのことを嗜(たしな)まずば、一大事たるべき」
蓮如『蓮如上人御一代聞書』
(著者訳)「他人が今何をしているだとか、他人はどうしたと、人のことばかり気にして、自分がやるべきことがらがおろそかになってしまうのは、大きな問題です。」
この本では、この言葉の前に(今いる会社を辞めたくなったら)という言葉を冠して、そういうような時に想起したらいい言葉としている。
他の言葉も全て同様で、どういう時に想起したらいいかを、( )書きで採り上げた言葉の前にまず冠している。そして採り上げた言葉の後には、出典の明記と著者の訳。これが1頁に纏められ、その後、3頁の説明が続くというスタイルだ。
もう2,3だけ採り上げよう。
(目標を失ってしまったら)想起するといい言葉として
「誓願なければ、牛の御するなきがごとく赴くところを知らん」
智『摩訶止観』
(著者訳)「最初に誓願を立てておくことがなければ、手綱を引く人を失った牛が暴れ回るように、自分がどこへ行ってしまうかわからなくなってしまいます」
(自分の才能を疑うようになってしまったら)
「人々悉く道器(どうき)なり」
螢山『伝光録』
(著者訳)「どのような人であれ、仏を志し、仏道を極められる才能がある」
(「自分が何をしたいのか」わからなくなったら)
「随所に主と作(な)れば、立処(りっしょ)皆真(しん)なり」
臨済『臨済録』
(著者訳)「どのような状況であっても、自分が何をしたいか見失わず、自分の本心にしたがって、主体的に行動すれば、真実の方向へと進んで行けます。」
著者は、仏教の言葉というものは、仏教的な修行の面だけに限定せずに、用いられている言葉を他の言葉に代えてみれば、人生の色々な局面で応用することが出来るというようなことを言っている。これは名言を活かす常套手段である。私もよくやる手だ。
著者の説明・解釈だけでなく、そのように色々な読み替えをして本の内容を噛みしめてゆけば、大いに得るところの多い本だと思う。
お薦めの一冊です。
←ランキングに参加しています。