これで三冊目のスマナサーラさんの本である。
心を掃除できる80の言葉として、著者が選別した言葉を採り上げた箴言集(しんげんしゅう)とでもいうべき本。
箴言集などといったら、今時の活字離れの激しい若者は9割以上分からないかな。簡単にいえば格言集。これでも分らないようなら辞書を繰ってください。
見開きの右の頁に格言的に大文字で短い文章を。左側には例など交え、少し分かり易く説いた文章が書いてある。何となく鎌田實さんを想起させる章題が並ぶ。
第1章がんばらない
第2章求めない
第3章怒らない
著者の別冊「怒らない」、「怒らない2」と比べると、非常に短い言葉で、エッセンスに近い文章を載せている。
第4章くよくよしない
第5章とらわれない
第6章おそれない
お釈迦様の言葉に基づいた言ばかりだ。ただし著者はスリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)の長老であり、簡単にいうと初期仏教、小乗仏教の教えである。
日本で説かれる大乗仏教の教えとは、幾分異なる箇所もあるようだ。
いい言葉も色々あるが、実のところ、私がまだ完全に理解しきれていない言葉も幾つかある。
以下、私が理解出来た「いい言葉」をまず幾つか列挙(何となく私の心の中の引っかかりなどが解けたり、意表を突いたものが中心)、その後にイマイチ納得出来ていない言葉など挙げる。
まず納得出来た言葉を幾つか挙げよう。
「世の中は無常だからこそ、努力が実り、人は成長できる」
「生きる目的などない。生命はただ生きているのであり、生きる事に目的といえるものはない。」
「得たものは無常で、いつかは手放さなくてはならない。(中略)こうしたものに固執するのは精神的依存である。(中略)精神的依存から解放されたとき、はじめて自由になれます。」
「「不完全でいい、でもいい加減ではない、これが私の精いっぱいだ」というのがいちばん素晴らしい生き方です。」
「人は、一人でいきられない。・・・依存はいつも双方向であるべきです。」
「労働も完全に相互以前です。会社は自分に依存しているし、自分も会社に依存している」
「将来という妄想」をしない。「いまの瞬間がよければ、当然次の瞬間もよいのです。」「いい結果を期待するなら、「将来という妄想」の中で空回りするのでなく、「いま」に集中すべきです。いまの瞬間だけが現実です。いまの瞬間は次の瞬間の原因になります。今の瞬間がよければ、当然、次の瞬間もよくなります。」
「病気にかかったら、「自分」と「自分のからだ」を話して考えることです。」具体的には、「私は・・・」でなく、「この体は鼻水が出る」とか「この体は熱がある」などという考え方をする。
「自分のことを不完全だと心から思っている人には精神的な悩みがありません。」
「ものにとらわれない。」「捨てなければ、より良いものに交換することはできないんですよ。」
「何かをやって成功したら、次にそれを捨てなさい。」
まだまだ書きたい言葉は色々あるが、これ位でとりあえずやめておこう。
次にまだ完全に理解しきれていない言葉を挙げる。
「人が死んだことを悲しむことは、本当はすごく格好の悪いことなのです。」という言葉だ。この感情の裏には、自分は相変わらず元気だという安穏とした心があるから、人の死な泣くなど褒められた事ではないという。命が有限だと分かっている人は、他者の死を悲しまないというが、どうもこの辺は、素朴な私の感情が胸奥から湧き上がり、なかなか素直に受け付けない。
また子供が「どうせ死ぬんだから、何をやってもムダだ。」と云った言葉を、著者は「じつは、その子供は素晴らしい能力を発揮しているのです。「どう生きればいいか」は「死」を意識しなければ見えてこない」からだという。そうかもしれないが、何をやっても無駄だという、投げやりな態度は、子供の成長にとって問題があるように思うのだが。
「今日をしっかり生きる」「明日の夢は見ない。昨日のことで足を引っ張らない」という言葉は、大筋で認める。ただ著者の真意がイマイチ見えないのは、歴史的思考をどう考えるかだ。過去の反省は無駄か。反省でなくとも、どこに失敗、あたは成功の原因があったかを考察することは無駄か。この辺を著者はどのように考えているのか私にはよく分からなかった。私自身は、歴史を学ぶ意義は非常に大きいと考えている。
煩悩が多い私は、まだまだ未熟で理解出来る段階でないのかもしれない。
全体的に見れば、非常に為になる言葉が多いです。
お薦めの一冊です。
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