前回に引き続き茂木さんの本、それも前掲書の続編の紹介である。
実は明後日茂木さんの講演会が地元にあり聞きに行く予定なのだ。
今までにも茂木さんの本は何冊か読んでいるのだが、それらに関しては、ほぼ忘れてしまっているので、あらためて参考に読んでいるのだ。
(昨日の)前回の記事の時もこういうエッセイものは書評を書き難いと書いたが、今回は前回以上に書評を書き難い。全体的な感想など書いたのでは、前とほとんど同じ内容になりかねない。仕方ないから、読みながら傍線してチェックした文章など列記して、紹介文に代えようと思う。
○生の体験の意義として・・・・
生の体験には整理される以前、「編集前」のノイズが豊富に含まれるということである。書物や映像を通して得られる知識は、誰かがすでに整理し、編集したものである。そのような情報源を通して学ぶことは効率が良いし、必要なことではある。その一方で、自分で工夫し、言葉にならないものを何とか言葉にしていくという能動的な側面に欠けてしまうということである。・・・・すぐには意味のわからにノイズに満ちた生の体験の中に飛び込み、そこから意味を見つけることこそが、本当の意味で脳を育む。
○プロ棋士は、その驚異的な記憶力に支えられて、徹底的に自らの失敗から学ぶトレーニングをするという。(プロ棋士の登竜門「奨励会」でも、対戦するのと同じくらい、あるいはそれ以上の時間をかけて、対局の勝因、勝敗を徹底的に検証するのだという。)
・・・・歴史を忘れるものは、また同じ失敗を繰り返す。将棋の世界で営々として積み上げられてきた「失敗から学ぶ」文化を、私たちも見習う必要がありそうだ。驚異的な記憶力など要らない。まずは、過去を振り返ることを忘れないことから始めたらどうだろう。
○湯川秀樹氏の業績などを鑑みて・・・・
総合的な教養、知性という「裾野」があって、初めて鋭利な専門的能力も立ち上がる。理論的物理をやろうという場合でも、直接の関連性が高い物理や数学の知識が必要なのではなく、一見関係がないようにも見える『論語』の素養が役に立つ。だからこそ人間の知性は奥深く、面白いのである。
○生きている中で身につけた性質(獲得形質)の遺伝は基本的にはないと考えられている現代の進化生物学において、ある世代で身に付けた事は、次世代の脳に直接受け継がれない、とされる。ここで文化が重要なファクターとして登場する。遺伝子を通して直接伝えられるのはないにせよ、文化の影響力を受けた学習のプロセスとしては伝わり得るし、また実際に伝わっているのである。・・・・文化という、遺伝子を通さず性質を伝える装置の発明によって、脳は自ら意欲する場所に進化していけるようになった。人類の一人ひとりが忘れてはならむ、自然からの素晴らしい贈り物である。
○放っておかれた時間のなかで、創意工夫して遊んだ子供たちは、元気な大人になる。脳の中の自発性の回路が強化されるからである。一方、親からあれこれ言われてその通りにしていた子供は、「指示待ち」の大人になる。機械ならば言われた通りにやるのは便利だが、人間はそれでは困。
○自分が体験することや行うことに偏りがある時に、欠けているものを補って全体性を回復することが、「癒し」である。
○遊びで肝心なことは、結果が容易に予想できず、豊かな偶有性(ある程度は予想できるが、ランダムな要素が入ること)が含まれることである。興味深い遇有性に満ちた遊び方に触れることは、もっとも高度な脳の働かせ方を促すことになり、教育上の効果は計り知れない。
○人間は弱いから、不安や迷いがある時にはついつい逃げ出したくなる。その時、目の前の課題とは関係のないことの中に迷い込んでしまうことは、一時的な気分転換や気晴らしになるかもしれないが、課題の根本的な解決にはならない。
・・・・迷っている自分から逃れようと思ったら、没我の境地に達するしかない。取り組んでいることと自分の間に壁があるうちは、人はなかなか向上することが出来ない。自分と対象が一体となって、「我」を忘れるくらいでないと、本当の意味での変化を経験することはできないのである。
・・・・本当に魂を鍛えてくれるのは、自分と課題が区別できないような形で一体化する「没我」の時間である。
疲れてきた。勿論まだ色々いい言葉はあるし、私も他にも何十箇所と傍線を引いている。ただキリ(際限)が無いので、この辺でやめておく。
興味を持たれた方は、実際に読んでみることをお薦めする。
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