今年2月に亡くなられた立松和平さんの本である。ただしおそらく私は立松氏の本を読むのは初めてではないかと思う。
道元や禅、曹洞宗に非常に関心があるので、今回読んでみたのである。
道元の著書『正法眼蔵』の解説書なども我家にある。
このように言うと、我家の宗旨は曹洞宗かと想像する方もいるかもしれないが、我家の宗旨は浄土真宗大谷派(いわゆる‘お東さん’)である。
若い割にはジジクサイと思われるかもしれないが、私は仏教にはかなり興味がある。一番はやはり浄土真宗。2番手以降は曹洞宗、浄土宗、時宗、真言宗、臨済宗・黄檗宗、天台宗、・・・・といったところか。
とにかく2番目に好きなのが、曹洞宗である。只管打坐のあの禅の精神が非常に魅力的だ。禅といえば、他にも臨済宗・黄檗宗などもある。臨済宗・黄檗宗の公安禅に対して、曹洞宗の黙照禅という違いもあるが、それより権力者に近寄るか、それとも避けて僻地にあるかの違いというか宗風の違いの方が大きいと思う。
こういう私だが、座禅の経験は、実は鎌倉の某有名な禅寺しかない。禅に興味を持ち始めた頃、地元石川県出身の鈴木大拙を真似て、その寺で座禅をしたのである。
しかし福井の永平寺や能登の総持寺祖院のように、曹洞宗は中央から離れた僻地に、政治とは離れた世界で悟りを求めた。その姿勢が私は特に好きだ。この本でも出てくるが、それは道元が意識して行った。
だから今、川崎に総持寺があるが、あれは宗祖・道元の考えからは離れた建立だったと思う。
余談が長くなってしまった。
この本は、道元が生まれる前の平清盛の全盛時の頃から、彼が中国(宋)に渡り、師・浄如禅師のもとで心身脱落するところまで描いた作品である。
この本は、一応ここで終わっているが、立松氏は後記で「このまま書き続け、道元禅師五十四歳の遷化まで書き切ろうと、今年五十四歳になった私は誓願をもっている」と書いている。
七尾市立図書館の検索サービスで調べたら東京書籍刊で『道元禅師(上・下)』という本もあった。この本のことかもしれない。機会があったら読んでみたい。
正直にいうと、実は最初はなかなか読み進め難くかった。得度するまでにかなりの紙面を費やし過ぎる感じがした。でも道元の出自も知ることが出来て良かったとも思う。
道元は、五摂関家の祖・藤原忠通の子である藤原(松殿)基房と忠子との間に生まれた娘・伊子と、久我通具との間に生まれた嫡子であった。母方の祖父・藤原基房は少し落ち目だが摂政・関白・太政大臣など公家の最高位を歴任した。父親の久我(源)通具は、久我通親の二男で源平の争乱期・鎌倉期を上手く泳ぎ、上昇気味の家であった(本によっては、道元の父は久我通親とするものもあるようだ)。
仏教の宗祖は、皆意外と高位にある人がほとんどだが、その中でも道元は特に高いのではないだろうか。
生まれる前から、陰陽師に(腹の中の)この子は、重瞳の子で、重瞳の子は過去に古代五帝の1人・舜と楚の項羽しかいない。英雄豪傑になるか、大聖人のどちらかになる五百年来の大人物と予言され、注目を浴びていたようだ。
母・伊子の遺志もあり、道元は僧侶となる道を選んだようだが、日本の他の宗祖の多くと同様、最初は天台宗・永平寺に学び、その後・天台宗園城寺、臨済宗の建仁寺で学び、宋に渡ったようである。
この本では、立松氏が道元の思想の読者に成長をわかるようにしようと思ったのだろう。道元が学んだ師などとの問答などが出てくる。
本当にそういう問答がなされたのかは知らないが、彼の事績や思想を詳しく調べ、書いたことがよくわかる。
彼が、永平寺の横川の千光院で修行を初めてまもなく、法門の大綱「本来本法性、天然自然心」に疑滞を持つところなど、勉学に勤しむ若者らしい真摯な姿がよく出ていて良かったと思う。
私も、仏教に興味があるとはいえ、実は色々な素朴な疑問も幾つか持つ。ここでは特に書かないが、道元を見習い機会があればお坊さんにでも聞いてみたいと思っている。
とにかく道元や禅、曹洞宗などに興味がある人には、絶対お薦めの一冊です。
(この記事は、七尾市立中央図書館(ミナクル3F)から借りてきた本を参考に書いています)
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