江戸時代、幕府は道路、橋、寺社、治水、灌漑水路などの公共工事を大名などに行わせたせたが、それらをお手伝い普請と俗に言った。
特に外様大名に対しては、力を削いで反抗できないようにしたり、難関な工事を押し付けて問題が出たら藩をつぶす名目にしようとの魂胆などから、江戸前期にはしばしば行われた(勿論、お手伝い普請は、江戸時代を通して行われたが)。
この小説はその中でも最も有名といえる宝暦の大治水を舞台としている。確か澤田ふじ子さんも、この宝暦治水の話が出てくる短篇を書いていたはずだ。詳しい内容を知るのは私も今回初めてである。杉本苑子氏が直木賞を受賞した(第48回)作品で彼女の代表作でもあるらしい。
私は、こういう困難な事業を克服するフィクションが好きである。宝暦治水を扱ったこの小説は、いわば江戸期版プロジェクトX~宝暦治水~とでもいえばいいだろうか。
宝暦3年(1753年)12月末、伊尾川(揖斐川)、長良川、木曽川の三川治水の幕命が、財政難で喘いでいた薩摩藩に下命された。この三川が流れる地域(美濃、尾張、伊勢の三川流域)はこの三川がくっ付いたり、少し離れて並流したりしている。そのため毎年のようにしばしば洪水をおこしていた。
この流域では、毎年堤を盛り上げる工事などしてきた。だがそういった工事は、服でいえば膝当て程度の繕い的なもの。その場しのぎの暫定措置である。洪水を恒久的に防ぐには抜本的な治水工事が必要とされた。
この工事にかかるとなると莫大な費用がかかるので、幕府もなかなか手をつけなかった。
幕府は、江戸幕府開府後、日本の最西端にある藩とはいえ、薩摩藩を一番危険視してきた。そこで薩摩家に大金を使わせようと、これまで2度も徳川・薩摩両家の間で婚姻の話が持ち上がった。が、婚約した二人のどちらかが結婚する前に亡くなるという不運が続き、幕府の思惑は実行できなかった。
そこで新たに出てきたのがこの三川治水のお手伝い普請。これは武器をとらずに行われる戦いであった。しかも薩摩側にとてつもない大きなハンデをつけて行う戦いであった。どう検討してみても、勝算なき戦いである。
薩摩藩は源頼朝が守護・地頭を置いた時代からの唯一の生き残りの豪族。500年近く地元薩摩の民と一体となって社稷を守ってきた矜持がある。負けるとわかっていても、意地がある。薩摩藩は士民一体となって、艱難辛苦を耐えて、この困難を乗り越えようとする。
この本を読んでみれば、薩摩藩や長州藩が、江戸時代を通してずっと倒幕の機会を窺っていたというのもよくわかる。徳川家もまあ、ネチネチと陰湿な苛めを執拗にやったものだなあと思ってしまうからだ。
またいつの世も似たようなものかもしれないが、薩摩藩に集(たか)ろうとする三川流域の農民のエゴの姿、腐敗した公儀役人の姿も生々しくて凄い。ノンフィクションはこうでなくっちゃ面白くない。
まだ上巻で、今晩これから下巻を読み始めようとている。
最後に、参考にAmazon.co.jpのこの本に関する紹介文を下に転記する
「財政難に喘ぐ薩摩藩に突如濃尾三川治水の幕命が下る。露骨な外様潰しの策謀と知りつつ、平田靭負ら薩摩藩士は遥か濃尾の地に赴いた。利に走る商人、自村のエゴに狂奔する百姓、腐敗しきった公儀役人らを相手に、お手伝い方の勝算なき戦いが始まった……。史上名高い宝暦大治水をグルーバルに描く傑作長編。」(出版社/著者からの内容紹介)
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