前記事につづき「90分でわかる」哲学者の同シリーズの、デカルトを読んだ。
本の構成の仕方は、前回と同じだ。最初「デカルト 思想と背景」、次に「デカルト 生涯と作品」、「結び」、「デカルトの言葉」、「哲学史重要年表」、「訳者あとがき」となる。
2人を比較してみると、似た面もあれば、対照的な面もあり、面白かった。
2人とも、哲学だけでなく数学や自然学(尤もこの頃は数学や自然学も哲学の一分野に過ぎなかった)も勉強し、種々の本をものしている。
変わったところでは、2人とも極端な心気症(ヒポコンデリー:自分の健康を過度に心配する症状)であったという。あまり人付き合いがよくなかった点もよく似ている。2人とも、家族と殆ど付き合っていない。
ただし人付き合いの点では、カントは、思考に体を支配されたような生涯を送った人物で、友人を持とうとも思わないような性格で、超変人という感じだ。それに比べると、デカルトは人との交際の煩わしさが苦手で避けていたような感じがして、まだしも人間的な感じがした。
カントは、兄弟姉妹がいくら親交を持とうと思っても避けた。デカルトはメイドと恋愛関係になって娘が出来ている。ただしそのメイドとは別れた(捨てた?)が、その娘には人並みな愛情を注いでいる。
カントは自分が生まれたドイツ領東プロシアのケーニヒスベルグから外に出ることは生涯一度もなかったが、デカルトは人との交わりを避け、生涯旅や引越しを繰り返してもいる。カントは毎日の生活のパターンが、寸分も狂いもないほど規則正しい生活を送った。それに対してデカルトは生涯、昼ごろに起き出してから、後は(思考、著作を含めて)自由気ままに過ごすという生活を送った。
またカントの哲学が、哲学者ですら気が狂いそうだというほどの難解な文章で書いているのに対して、デカルトの文章は、非常に明晰で分かりやすい。確か文庫で出ていた『方法序説』は薄い本だった。こんなに分かりやすい文章ならば、私はこれを機会に読んでみようかとも考えている。
比較すれば、他にも色々似ている点や対照的な点があるが、これ以上書くのはやめておく。
デカルトといえば、「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」という言葉をすぐ想起する。
少し敷衍して書くと、真理の探究に努めようと思うと、色々教わる事は結構不確かな事ばかりに気付く。それを打破し、真理を打ち立てるには、徹底的に懐疑し疑わしいものは捨て去る事が求められる。しかし徹底的に懐疑しどんどん疑わしいものを捨て去っても、最終的に懐疑するという思考を行う私は否定できない。よって「私は考える。それゆえ私は存在する」事は確実であり、これこそ哲学のの第一原理であるという。
高校時代、確か倫理社会という教科で習った(ただし共通一次試験では選択しなかったのもあり、当時はあまり勉強しなかった)。今回は思想的な内容で、特に新たな多くの知識を学んだという感じはしなかったが、簡単ではあるがデカルトの思想について復習できて良かった。
キリスト教的な思想と反するような思想を押さえ込むスコラ哲学を打破し、近代哲学をの幕を切って落としたのは、やはりデカルトと言えるだろう。
やはり哲学を勉強するとしたら絶対欠かせない人物だ。
この哲学者を取扱ったシリーズは、本当に分かりやすくて面白い。出来るだけ多く読んで、色々な哲学者を比較してみたい。また訳者も書いているように、「思索の糧」にしようと思っている。

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