立松和平氏はマスコミなどによく登場し有名だが、私は氏の著書を読むのは今回初めてである。思ったほど文章は上手くないような気がした。単に、私が立松氏の本に慣れていないだけであろうか。他人の文章を批評出来るほど、自分の文章は上手くはないが、でも立松氏がプロである事を考えると、ちょっと疑問が・…。また小説の作家の筋立方というか構築も、少なくともこの作品はそんなに上手くないように思うのだが・…
私は、南極に対して子供の頃から非常に興味をもっている。小学校の頃、科学の雑誌に、その頃活躍していた南極観測船「ふじ」の記事が載っていて、それを食入るように読んでいたのや、イギリスのスコット大佐を主人公にした南極点到達競争(アムンゼンとの)を描いた小説も読んだのを覚えている。その頃からずっと今にいたるまで興味が繋がっている。
このブログでも今までに『南極越冬記』(西堀栄三郎著・岩波新書)や『南極大紀行』(NHK)をはじめ何冊か紹介してきた。
それだけにこの小説にもかなり期待した。この小説のおかげで白瀬探検隊の大よその軌跡はわかったが、私個人としてはちょっと不満。もっと日記などの記録に忠実に書いた方が良かったと思う。西堀氏の『南極越冬記』と比べれば、かなり見劣りする。
帯紙には「痛快な男たちの生きざまを見よ。痛快な男たちの生きざまを見よ。男たちを、南極は待っている」と書かれている。しかしそんな痛快小説とはとても思えない。
ノンフィクションではなく小説ということもあり、連れて行った樺太犬にも人間のように語らせたり、何かと地位を主張し越権行為も多い総務の大山という問題男との人間関係なども、小説に盛り込み、普通の探検記とは違った面白さを出そうとしている試みも見られた。が、その試みが成功したとは思われない。
また私は、白瀬矗(しらせのぶ)陸軍中尉の探検行が大したことは無いなどというつもりはさらさらない。明治43年という開国して半世紀ちょっとしか経っていない頃に、貧弱な船と装備で、それも国家の後押しではなく、民間の協力で挙行したのは大した勇気だと思う。
そして南極点は到達できなかったが、南極に上陸、到達点を「大和雪原」と命名し、世界の地誌にその名を刻んでいる。当時の日本の国力などから考えるなら十分の讃えられるべき業績である。
要は、この作品は、私が思うにあまりいい出来ではないということだ。立松氏は最近、道元関係の小説をよく書いているので、道元にも興味がある私としては、実はそちらを先に読んでみようかと思っていた。ところが一週間ほど前、七尾市立中央図書館に寄った際、新しく買った本のコーナーにこの本を見つけ、ついこちらを先に借りて読んでしまったのだ。
道元関係の本も読むつもりだが、それももし面白くなかったら、私に向いていない作家として、今後は立松氏の作品は当分読まないつもりである。
文体というものは相性もあると思う。Aさんがいい文章だと思っても、Bさんには読みづらいとか、読んでいても面白くなく眠気を催すという場合もあるはずだ。
立松氏の文章が自分に向いていなければ、特に無理して読むことも無いと思う。
今回は、実に愛想も無いコメントになった。以上のような理由なのでご了承願いたい。ただ評価はそれでも悪書という訳でもないので、一応オマケで4星としておいた。
←ランキングに参加しています