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取材学―探求の技法 (1975年) (中公新書) 加藤 秀俊 / / 中央公論社 スコア選択: ※※※※ 1975年発行という古い本だ。私が大学生の頃の1980年代初頭に買ったが途中まで読んでそのままにしてあった。今ではちょっと古い内容もある。IT全盛の現代に育った若者には、インターネットどころか、パソコンもワープロもない、かろうじてマイコン(知っているかな?)といわれる機器が出たかどうかという頃に書かれた本だ。 現在は情報を収集するツールとして、インターネットを使えるようになり、色々な意味で情報革命が起こったのは事実だが、取材学の基本は、根本的には何も変わっていないのではなかろうか。 加藤氏は、取材とは何もジャーナリストやマスコミが行うのだけが取材でなく、人間活動のかなりの部分が取材だという。主婦も、企業も、学者や学生も、皆広義の取材活動を通して行動していると述べる。 Ⅰ章は「取材とは何か」。人間の行動の基本にある取材だが、我々は多方面から与えられる情報に対処しきれず、情報の海でおぼれているような状態になっていることが多い。しかし情報は与えられるも出なく、使うもの。情報を必要なだけ上手に使うには、問題発見能力の開発が重要だという。それにより聞き方が上手になり、取材が上手くなる。つまい取材とは、それぞれの個人の問題発見に基づき、その問題解決のために必要な情報を選び出すことだと述べる。 Ⅱ章、Ⅲ章では文字になった情報の収集による取材方法を述べる。「話を聞くことは、問うことだ。ひとに尋ねて取材する能力は、べつな能力で言えば問う能力だ」。「取材される側が、いかに大学者、物識り、わけ知りであろうとも、取材する側の能力が貧困であったら、せっかく面談しても、大した収穫はないものだ」。とも述べる。 Ⅳ章では「耳学問のすすめ」ということで、図書館の使い方、リファレンス・ブックスの活用、索引の活用など紹介。加藤氏がいうように確かに知っているようで殆ど知らない事柄であった。 「辞典」と「辞書」の違いを確かにあまり意識せず、アイウエオ順に調べ、そこに出ていた内容だけ調べていた。考えてみると、長年随分非効率的な探し物をしていたものだ。現代は、こういう事を知らなくても比較的簡単にインターネットで調べられるが、それでもこれらの知識は今でも必須だと思う。 加藤氏のジャーナリズム、マスコミへの痛烈な批判も面白い。「一般的にいって、こんにちのジャーナリストは、あんまり勉強していない。(中略)ひとつの事件を、前代未聞、といって騒ぎ立てる前に、似たような事件の前例を探してみれば、どれだけ記事にひろがりふができるかわからないのに、そういう角度から事件に接近してみようというジャーナリストは極めて少ない。」 ものを聞く作法のところでは、「ジャーナリストの間では、不思議な先入観があって、どんな事にも取材する権利があって、取材に協力しないのは正義への反抗だ、といった誠に見当違いな思い上がりを持っている人がいる。そして大声で「知る権利」を主張したりもする。しかし取材される側には、取材されない権利、あるいは「知られない権利」もあるはずだ。日本国民ことごとくが、知る権利のもとに取材に協力しないといけないとするなら、ジャーナリズムは一種の弾圧的な秘密警察ごときものになってまうではないか」。 報道規制などの問題が起こるとすぐ言論の弾圧だ、許せないなどというジャーナリズム、マスコミだが、よく見聞きすると、因果応報、他人にやったと同じことが自分にされて初めて怒るという傲慢な人間に多い鈍感な面が多分にあるように思う。 加藤氏は「相手が農民であろうと、タバコ屋のおじさんであろうと、取材する相手は、…我々にとっては教師なのだ。人にものを聞くときはいささかも尊大な気持ちを持ってはいけない」。そして国立大学の頃の取材で、出かける前に関係先の自治体などに連絡し、至れり尽くせりの応対で取材もすんなり出来たが、そういう取材の内容は、真実を捉えていない質の低いものだった失敗談なども紹介している。 Ⅴ章は「現地を見る」。山や川はもの言わぬ風物だが、情報であることにかわりない。そうした情報としての風物-自然環境、町のたたずまい、ちょっとした風景などが、イメージを与える。現地へ出向けば、出版物が中央からのものに局在しがちな現在、隠れた名著に出会うことが出来ることなど、その取材で現地を見る意義を述べる。 また現地取材の難しさも述べ、現地取材の条件として次の3つを挙げている。 第1は、時間の条件。原則的に言って、現地に長い間いればいるほど取材は確かさを増す。第2は、現地で取材に偏りのないように、出来るだけ沢山の情報取材を探すこと。そして第3の条件は、現地に浸りながら、決して溺れないこと。客観主義を貫き、主客転倒・主客ごちゃ混ぜにならないよう心がけること。 Ⅵ章は「取材の人間学」 ここでも面白い発言をしている。「批評家・評論家という肩書きに眩惑され、無条件に信用してはならない。情報の全てを信用できないのと同じように、その鑑定家であるはずの、全ての批評家も信用できないのである。…(中略)それではどうしたらよいか。解決方法は一つしかない。それは批評家・評論家の力量を我々自身で評価することである」。 それだけに個々人の取材学の能力向上が重要になってくるということだろう。 ここで改めて、膨大な情報量の中から必要な情報だけ手に入れる取材の方法が問われ、問う能力、問題提起の能力が出てくるわけだが、加藤氏は一つの面白い提案をしている。取材という目的合理的行為は、さっさと片付け、後に生まれた時間的余裕を利用して、無目的な知的散歩をすることだ。その効用を次のように述べる。 雑学の幅が広がるにつれ、好奇心の方向が多様化する。また知的散歩の途中で、思いがけない拾い物をすることもある。今までは思いもしなかったことなどに問題意識が芽生えたりする。そしてそういう知的散歩をしながら情報をひやかしているうちに、いつの間にか情報の鑑識眼が着いていく。 取材の打ち切り地点に関しては、人生は有限なのだから、取材は暫定的でしかありえず、条件の許す範囲でそれなりの報告をするしかない。時間が無い、金が無いは、力量の無いものの言うことで、一定の制約のもとで最善を尽くす見極めが必要と説く。 そして最後は、取材発表に関しての倫理など述べる。取材には常に間違いの危険が伴うという自覚を強調。取材者の警戒すべきは悪徳は、独善と尊大である。目標とすべきは人間的愛情と謙虚さである。「取材」と言う言葉は、「学習」という言葉で置き換えると、我々の一生は取材の連続であり、学習の連続だ、と述べて締めくくっている。 決して陳腐な古い本などと思わずに、読んでほしい。お薦めの一冊です。 ここまで読んで評価してくださる方は、できれば下のバナーをクリック↓してくださると有り難いです! ←ランキングに参加しています!
by une_genzaburo
| 2008-11-02 10:50
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