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銭五の海〈下〉 (新潮文庫)
南原 幹雄 / / 新潮社 スコア選択: ※※※※ 粗筋を紹介する。 五兵衛は、鎖国は国を貧しくする、という確信のもと、黒羽織党など保守党が政治を牛耳る加賀藩の中で、彼は年寄・奥村栄実(ひでざね)やその腹心・勘定奉行宇津木松之助などと心を合わせ、辛抱つよく耐え抜き頑張る。 黒羽織党は、五兵衛こそ加賀藩を駄目にする元凶として憎み、何度も彼を殺そうとする。彼はそれを何とか凌ぎ、ロシアや薩摩、そして竹島(ウルルン島)を通しての中国との密貿易などを通して商売を拡大、日本有数の豪商に出世していく。 時代は、天保となる。天候不順による全国的な飢饉が何年も続き、藩も財政難建て直しに迫られた。しかし米中心の経済から貨幣普及による商品経済に推移したのも認識できずに、重農主義、保守主義を堅持する黒羽織党や本多政和、長連弘、前田孝本といった年寄は、銭五を不倶戴天の敵とするが、藩の財政改革や救民対策では何も有効な手段を打てずにいる。 藩内随一の明敏な実力者で開国論者の奥村栄実(ひでざね)は、以前藩財政窮地のつけをとらされ失脚していたが、ここに来て、彼の識見、気迫、行動力、経験に勝るものがおらず復活する。 五兵衛は、復活した奥村が要請する15万両の献金を引き受ける代わりに、御手船裁許と永代渡海免許を得る(その他、苗字、帯刀を与え十村とし、扶持も得る)。銭屋はこれにより予想以上の信用を勝ち得、急激に商売を拡大していく。 また奥村栄実と本多政和との間で話し合いが行われ、黒羽織党の弾圧が決定。黒羽織党の主な面々は能登島に流される。五兵衛にとっては、やっと不安の材料が取り除かれた感じであった。 銭屋は、さらなる繁栄のもとで造船ラッシュに沸く。藩主婦人や藩主自身が進水式や建造をご覧に訪れるという光栄ある日々が続き、銭屋は絶頂期に到る。しかし藩主成斉泰が常豊丸の進水式を観覧に訪問というその絶頂に到った日の夜、斉泰から祝いとして下賜されたお菓子を食べた奥村栄実が急死するという事件が起こる。保守派による暗殺と考えられたが、殿からの下賜による菓子が原因での急死のため公に出来ず、五兵衛や宇津木らは落胆する。 奥村亡き後、藩政のトップに立ったのは、本多播磨守政和で、黒羽織党も復活する。後にトップは同じ保守派の長連弘に代わるが、彼こそ黒羽織党の頭目でもあり、五兵衛ら銭屋の屋台は確固としたものになっていたが、将来に影が差し始める。 五兵衛はこの頃、彼の出自の高畠一族から頼られ、困窮する彼らの為に新天地を探していた。彼は、大野弁吉の提案で河北潟を開拓して、そこに彼ら移住させる夢を抱き、藩に願いを届け出る。毎年のように何度も願い出る五兵衛に対して、藩は五兵衛の計画を認めなかったが、銭屋からも千両にものぼる賄賂も功を奏し、数年後ついに許可を得る。 五兵衛は、工事をするに当たって、工事責任者としては(五兵衛が子供の中で一番見込みのあると考えている)三男の要蔵をつけたが、会計責任者としては長男・喜太郎をつけた。喜太郎の立場を思いやり、不出来な息子で問題があったが任せたのだった。 喜太郎は、埋め立てに従事する労働者として、荒くれ者で評判が良くない宝達者(金鉱労働者)を採用しようとする。要蔵は問題が起きそうだから、彼らでなく地元の者を採用するよう考え直しを求めたが、喜太郎は労賃の安さを理由にそれを決めてしまう。 工事が始まると、地元民と宝達者との間で問題が絶えず、地元民の工事阻止の行動にも遭い、工事は遅遅として進まない。そのうち常豊丸が、能登狼煙沖で難破するという事件を起こす。保守派が政権を握る藩はこれ幸いとケチをつけ、銭屋から御手船裁許と永代渡海免許を採り上げた。銭屋の前途に暗雲が立ちこめる。 河北潟の干拓でも、魚の大量死という事件が起こる。五兵衛は工事を中断し、友人の弁吉に原因を調べてもらうが、弁吉は妻とともに暗殺される。五兵衛は危難に陥るが、藩医・黒川良安により魚の大量死は赤潮が原因と判定され、何とか事なきを得る。 死んだ弁吉の代参として五兵衛は善光寺参りを行うが、その間に、河北潟に宝達者らが大量の石灰を沈めていた事が発覚(五兵衛は石灰の使用を禁じていたが)、宮越に帰った五兵衛は、藩に捕らえられる。五兵衛はきちんとした取調べの機会も与えられず最初から石牢に入れられ、過酷な取調べを受け衰弱死する。 その後、銭屋の主だった者は処刑され、家名断絶、家財闕所(財産没収)となる。没収された財産はおよそ三千万両、現在の貨幣価値では約3兆円だったという。五兵衛の死の半年後、ペリーが浦賀沖に来航する。 上巻の感想でも書いたが、この小説で銭屋五兵衛の不倶戴天の敵として登場する黒羽織党は、自らを改革派などと称して藩内を闊歩するが、時代遅れの米中心主義の考え方で質素倹約しか策が打ち出せず、無能を晒す。 奥村の復活後、五兵衛の上納金などで藩財政が好転していくのも認めず、その後も加賀藩を駄目にする元凶と思い込み、五兵衛を付けねらう訳である。 そして考えることといえば、銭屋を潰して、その財産を摂取して苦しい藩財政を救うという事であった。これは銭屋だけでなく、銭屋の前に加賀藩一の豪商であった木谷屋藤兵衛も同じような憂き目遭っていたのであった。 つまり加賀藩の財政改革というものは、どうしようもなく情けない、とても武士とは言えぬ様な卑怯なやり方しかできない連中であった。こうであるから加賀藩のリーダーには、先見性などまるでない。政治能力も無能そのものであった。 小説には書かれていない事だが、私が知っている加賀藩のお粗末なエピソードを2つ紹介しよう。 幕末の鳥羽伏見の戦いが始まってもまだ幕府の敗北を加賀藩では誰も信じず、幕府側に付こうと越前まで進軍していたという事実がある。そして敗北を進撃の途中で知り、急遽金沢に引き返し謹慎するというザマをやる。 また数年間の天保の飢饉や金沢で大火があった時、藩は兎に角、殿のお膝元金沢を救えと、無能でありながら8万ものタダ飯を食う武家家族+約12万の一般町民(合計約20万の人口)が住む金沢に、食糧不足に喘いでいる能登や越中から強引に米を毟(むし)り取って送ったりしているのだ。 現在も富山県人は、この頃の恨みから加賀(石川県)に敵対意識を持っているが、考えてみれば当然の事である。能登も越中同様、本当は加賀から酷い眼に遭わされているのだが、分県出来なかった為に、膝を屈して金沢にご機嫌を伺わざるをえない立場になり、あまり文句が言えなくなっただけである。 だから私は、加賀藩の歴史を無批判で礼賛するかのような(例えば石川県のマスコミの)論調・傾向にはとても頷けない。私一人でもいいから批判し続けるつもりである。 余談が長くなった。最後に一つ残念なのは、五兵衛が、一族の為とは言え、なぜ河北潟干拓などに乗り出したのかどうしても理解できない。彼は海の男としての能力が偉大であっただけに本当に残念だ。人には得手不得手があり、海と陸では全然違うことくらい判らなかったのだろうか。田辺意次の印旛沼干拓など、干拓事業はただでさえ困難が多い。この点に関しては、資金さえあれば何とかなると考えた五兵衛の奢りの一面が出た失敗だといえよう。天才的な能力を発揮する人間が、その没落でよくみせる限界かもしれない。 色々な意味で考えさせられる本でもあった。多くの人に薦めたい本であるが、特に石川県の人には一度郷土の偉人として読んでいただきたい本でもある。 (この記事は七尾市立中央図書館(ミナクルから借りてきた本をもとに書いています) ここまで読んで評価してくださる方は、できれば下のバナーをクリック↓してくださると有り難いです! ←ランキングに参加しています!
by une_genzaburo
| 2008-09-19 12:30
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