香乱記〈上巻〉
宮城谷 昌光 / / 毎日新聞社
ISBN : 4620106763
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宮城谷昌光氏は私が特に好きな作家の一人である。私がHPで紹介している
書評のコーナー(源さんの書評)の最初の記事も宮城谷氏の『楽毅』である。しかししばらくご無沙汰していた。一番最近読んだのは2年ほど前、真の宰相・呂不韋の生涯を描いた
『奇貨居くべし』(中央公論新社)である。
宮城谷氏の中国史関連の小説・エッセイ類は、これを全巻読み終えると『三国志』を残すのみとなる。今年中くらいには『三国志』も読み終えたいと思っている。一時期は三国志フリークといえるくらい何種類もの『三国志』に嵌っていた私である。
さてこの『香乱記』だが、主人公は田横は、斉の湣王(びんおう)を曽祖父とする人物である。といっても中国歴史小説はかなり読んでいる私が、この小説を読むまで知らなかった。何かの本で読んだかもしれないが全然記憶が無い。
湣王は、まだ戦国時代だった頃、秦、韓、魏、燕、趙の5国連合の軍(将軍は燕の名将・楽毅)に攻められ、敗れて殺された王である。
湣王の子供のうち、生き残った人物の一人が田横の祖父であり、追っ手からの逃避の日々が続いた時期もあったが、その後その孫にあたる三兄弟、田儋(でんたん:タンはニン偏+詹))、田栄、田横は狄の地で威も徳も備え力を蓄え名族として栄えていた。ただし3人は実際には、従兄弟で長兄の田儋が本家筋にあたり、田栄(兄)と田横(弟)は兄弟であった。
その頃の様相を述べよう。秦の始皇帝が、郡県制の中央集権主義的な体制を築きあげ、民には苛斂誅求な労働や取立てを強いながら、背くものがあると法家思想に基づいた過酷な法で厳罰に処するという暗い時代であった。
ある日、三兄弟は旅をして、狄(てき)の邑に帰る途中、一乗の馬車を秦の騎兵が護衛する小集団と遭遇した。彼らは関わりを避け、道をあけてやり過ごした。その後再出発しその日宿泊予定に考えていた集落に近づくと、その騎兵の一団が賊に襲われているのを目撃した。彼ら三兄弟は駆けつけ助けに入る。秦の兵は殆ど殺されてしまった後で、何とか馬車に乗っていた人物を助け出すことに成功した。
その人物は許という名の人相観だという。許は、彼ら三兄弟が、それぞれ皆王になると占ったが、彼らは笑って取り合わなかった。許は臨シ郡の郡守から招かれて行く途中だとの事なので、自宅に一旦帰りついた田兄弟は、田横に許を連れて臨シの郡守のもとへ送り届ける事にした。無事に送り届けた田横は、役人から許が許負という当代一の観相であることを知る。
臨シ(旧斉の都であった町)から田横が帰る途中、兄2人が、秦の小集団を襲った賊の仲間だと嫌疑をかけられ、狄の獄舎に囚われている事を知る。狄の町は残る田横を捕まえようと警戒も厳しい。彼は東奔西走して何とか兄達を救おうとする。
何とか兄達は、収監を解かれ帰されたが、そのうちに背後には狄の郡監と県令が背後で田兄弟を陥れ、彼らの財産を取り上げようとしている企みを知る。
ある日、田横は県令から阿房宮の工事に田一族に使える人夫を引き連れて咸陽の都に行くよう命令され、旅立った。途中、県令らの密命を受けた随行者の属吏の罠にかかり、谷に架かった吊橋から転落してしまう。どうにか途中の木に掴まり死を免れ、さらにその谷の下を通りかかった若い蘭という少年を主とする一行に助けられる。そして田横は彼の護衛として雇われる。この少年は、実は始皇帝の子・扶蘇の子で実は女であった。
粗筋のつもりが、またまた詳しくなりすぎた。もうこの辺にしておこう。この後、田横は、皇太子・扶蘇、将軍・蒙恬(もうてん)、丞相・李斯(りし)などと面識を得る。蘭や扶蘇のため活動しているうちに始皇帝の死という事態が生じ、沈勝・呉広の乱も起き、時代は乱世へと入っていく。・・…
ついでにAmazon.co.jpに書いてあった本の紹介も参考に下に転記しておく。
「群雄割拠する秦末、故国・斉の独立を目指し、起き上がった田家の三兄弟。その末弟・田横を主人公に、“予言の七星”と呼ばれた家臣と乱世の群像を描く中国歴史巨編。」 (「BOOK」データベースより)
「群雄が割拠する秦末、故国・斉の独立を目指し立ち上がった田家の三兄弟。その末弟・田横を主人公に、乱世の群像を描く中国歴史巨編。『毎日新聞』連載を単行本化。 」内容(「MARC」データベースより)
中巻以降にどんな展開が待っているのか楽しみだ。それらも読了後、紹介記事を書きたいと思う。乞うご期待!
(この記事は、七尾市立中央図書館(ミナクル3F)から借りてきた本をもとに書いています)
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