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ガンジー―インド独立の父 (1966年) 坂本 徳松 / / 旺文社 ISBN : B000JA9ZHU スコア選択: ※※※※ ガンジーのことをあまり知らないで、読み始めたが、偶然明日はガンジーが亡くなってから丁度60周年(1848年1月30日凶弾に倒れ死亡)の日に当たる。最近単に中東から南アジア辺りにかけての歴史や文化・宗教を少し詳しく知りたくなった。我家の本棚の隅にこの本が眠っているのをみつけ読んでみた。 ガンジーについては数年前映画で観たのである程度の事は知っていたが、やはり映画での情報量は少ない。人となりや思想を知りたいのなら、本で読むべきだとあらためて思った。以下ガンジーの略歴など本を参考に述べるが、興味を持たれたら、これで良しとせず、自分で伝記など読む事をお薦めする。(この記事ではガンジーのインドでの活躍はかなり端折って書いてあります) 1969年10月2日(明治2年)、東京遷都の年に、ガンジーはインド西海岸のポルバンダールに生まれた。私は、彼の祖父や父親やが藩王国の宰相を務めていた記憶があったので、ガンジーはブラフマン(聖職者:バラモンともいう)の階級かと誤解していた。彼は第三カーストのヴァイシャ(商業)身分の出身であった。 13歳で同じカーストの少女カストルバイと結婚。ヒンズー教徒の間では、同じカーストのみならずその中でさらに細分されるサブカーストも同じで者でないと結婚できないということもあり、早く相手を見つける必要があり童婚は普通だという。 19歳の時に、親族の反対を押し切っってイギリスに留学、弁護士などの資格をとって22歳の時に帰国。翌年ボンベイなどで弁護士事務所を開くがあまり流行らず。その翌年24歳の時に、訴訟事件を頼まれ、顧問弁護士として南アフリカに渡る。 ダーバン港に上陸するや否や人種差別(アパルトヘイト)を実体験する。期限通り半年ほどで依頼された仕事は片付け帰国することになる。が、ダーバンで行われた送別会で偶然読んだ新聞に、南アフリカに住むインド人から選挙権を奪う法案の記事をみて、帰国をやめ、以後南アフリカでのインド人の基本的人権擁護する運動に入っていく。 有名なサティア・グラハ(真理把持)による非暴力・不服従運動を初めて指導するのもこの南アフリカにおいてである。選挙権制限や不当な人頭税など反対。2度の短い帰国があったが、22年間にも亘り南アフリカで活躍。インド人の地位向上のために、ボ-ア戦争(1899~1902)に際して野戦衛生隊など組織したり、ズール族の反乱(1906)で負傷者看護のために従軍したりもする。 この南アフリカの22年間の間にも、何度も逮捕された。不服従により法律を無視した罰則は甘受するという考えから抵抗することも無くすすんで逮捕拘束された。 インド人に対する差別の撤廃や不当な人頭税などの廃止など、ある程度の成果を収めた彼は22年ぶりにインドへ返る。 帰国後2年目に、チャムパランの藍小作問題の相談を受け、農民を指導、法廷闘争で勝利を得る。これを機に他の繊維工場などでも、故国インドでもサティア・グラハの運動を展開していく。 1914年インドはイギリスが戦争に突入すると同時に自動的に戦争に協力させられた。戦後インド人の地位が改善されるかと思いきや、反対にローラット法という治安立法によって戦前より言論・出版・表現の自由が抑圧、「パンを求めて石を与えられた」等しいイギリスのやり方に憤る。対抗してイギリス製品のボイコット、国産品愛好(スワデーシ)、チャルカ(手紡ぎ車)の奨励を行う。 1920年には対英非協力宣言し、闘争運動を展開。しかし運動がエスカレートし、ヒマラヤ山麓のチャウリ・チャウラで農民の暴動が起きると、非暴力をそれて本質的に暴力の闘争となったとして非暴力運動を突然中止。 この措置には、彼の弟子であるネルーらも反発し、彼のどこまでも非暴力・不服従という考えと少しづつ考えが乖離していったようである。国民会議派の指導者の地位はネルーらに委ねていくが、ネルーなど国民会議派の面々は、最期までガンジーを尊敬し、意見を常に拝聴していたようである。 ガンジーは、非暴力・不服従やチャルカの推奨などが如何に非現実的といわれようと、固持し続ける。ネルーらも、政治的に行き詰まると、非現実的と批判してはいたガンジーをいつも頼るのが常となっていた。 インドの統一には、自治か完全独立かという問題もあったが、ヒンドゥー教徒と回教徒の融和による統一インドを作るか、別々の国家を作るかという問題もあった。ガンジーはあくまで2宗教教徒の融和による1つのインドを目指したが、イギリスの分断政策や回教徒国の設立を目指すジンナーなどと話し合いがつかず、結局第2次世界大戦後の1947年インド・パキスタンは分離独立する。 ガンジーは、その後も回・印融和に向けて努力奔走するが、1948年1月13日、デリー郊外の支援者ビルラの邸の裏庭で、夕べの祈りを行う際、狂信的なヒンドゥーのテロリストの凶弾で、79歳で生涯を閉じる。 私も彼のやり方は、非現実的だと思うが、それだけに現実的な運動を並行している場合、そういう人物は崇高に見え、必ずしも無意味ではなく、運動を下支えする大きな力になるのだと思う。 彼の非暴力・不服従の運動を見習いアメリカの黒人差別と戦ったキング牧師も、同じ黒人運動家の中から非現実的だと批判される。マルコムXなどがその後の運動の主流となっていくのだが、その後キング牧師(彼も後に暗殺される)は影響が無くなったかというと、黒人の間で心の柱となっていった。ガンジーと同じよう経緯を辿った訳である。 キリスト教とイスラム教の対立、テロ問題、環境問題、南北問題、経済問題etc、混沌する21世紀初頭の現代にあって、問題解決にはどういう指導者が必要か、自ら犠牲になる覚悟をもって周囲からは非現実的と思われる信条を徹底するガンジーの姿は再考する価値あることかもしれないと思った。 ここまで読んで評価してくださる方は、できれば下のバナーをクリック↓してくださると有り難いです! ←ランキングに参加しています!
by une_genzaburo
| 2008-01-29 17:14
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