「
平国祭」(別名「
おいで祭り」)の写真です。
祭りといっても、ただ神社の神官や神人(高校生のバイトがほとんど)らと、氏子や馬の行列だけですが・・・・
先史時代というか弥生時代、大国主命が能登に来て、国を荒らす化け物どもをやっつけ、能登を平定した伝承に基づいた祭りです。能登には実際に、弥生時代に出雲から稲を持った人々が船でやってきて(羽咋あたりに上陸し)移住したらしいことが考古学的にも推定されております。羽咋市の邑知(おうち)潟南部には北陸最古の弥生遺跡の
吉崎・次場(すば)遺跡もあります。
つまり、能登はその頃、現代風に言えば、出雲の植民地であった訳です。大国主命の伝説はそれを象徴化した話のようです。出雲にも能登の国の一部を引っ張ったという国曳伝説がありますが、古代においては相当深い関係だったようです。
余談ですが、因幡の白兎の伝説の海岸も、あまり知られていないことですが、正式には
気多海岸と書かれています(ただしそのあたりを以前旅行した時は、今は白兎海岸と書かれていた記憶がありますが)。そう気多神社の気多という名は、その「気多」からきているのです。
この祭りは、毎年3月18日に羽咋市の気多大社を出発し、3月22日七尾気多本宮を折り返し、3月23日気多大社へ帰社。6日間かけて往復し(直線距離30km)、途中町の辻々にも寄ったり、大蛇退治や大鳥退治などの伝承のある地を数十か所廻るので、全行程で約2百数十Km(約300kmとも)近くも歩くことになるそうです。その上、数十箇所の由緒のある場所で、その謂れにちなんだ行事(弓を射る等)をそれぞれ行うので、相当疲れるとのこと。それで(昔は皆歩いたそうですが、今は年配の)神官などのため自動車もついてまわるようになってます。
上記の説明は下手な上、正確性にかけるので、補足説明としてJTBの観光案内の文章も下記に転載しておきます。
「祭神・大国大神が雅神・兇貝武を征服し、今の北陸道を開拓された神跡を偶ぶ古式。神馬を先頭に宮司正装以下神職直垂、加興長のほか従歩は白丁と威儀を正し、羽咋郡市・七尾市・鹿島郡300kmの行程を5泊6日の間、50余名が巡行する神幸神事である。」
こういう日数を要し長距離の巡行の祭りは、全国を調べても、茨城県の常陸太田市に残る巡行の祭り(
金砂磯出大祭礼)と、ここも平国祭の2例くらいにしかないそうで、大変珍しいそうです。