今日も、朝から根気のいい雨が降り続いている。お陰?で、大した仕事の依頼も入ってこなかったので、また読書三昧。
今日の午後2時半頃、この本
<『円空鉈伝』(古田十駕著・幻冬社)>読了した。円空の荒削りながら素朴で味わい深い仏像には、前々から関心があったので、この本を中能登町の鹿島図書館で見つけた時、迷わず借りてきました。
読んでみても、なかなか面白かった。彼のことを書いた本は初めて読むので、どこまで史実なのかはさっぱりわからないが、盗賊に狙われたり、蝦夷に渡ったり、色々ストーリーもあって面白かった。いちおう簡単なあらすじを書いておこう。
円空は、美濃の尾張との境に近い桑原輪中中村の名主加藤与左衛門の娘はつが、当時その辺りを収めていた徳野藩領主平岡家から暇を出された後、実家に帰ってきたはつが翌年の寛永8年(1631)に産んだ子であった。いわば平岡家の血を引く子であったが、平岡家からすれば母子とも邪魔な立場であったのだろう。平岡家は、6年経ってから、はつを出家させ、子は寺に入れるよう言ってきた。
覚念こと後の円空は19歳の年、大水が村を襲い、母は、その兄で加藤家の当主である叔父とともに、流され死んでしまう。その後、平岡家も改易ともなると、覚念は、母の実家に寄っても受け入れられていないような感じを受け、寺を出奔してしまう。そして近江であった円儺(えんな)という修験者に弟子入りして、伊吹山の岩窟などで修行し、大峰入りなどもして山伏となった。そして円空と名をもらう。
その後は、円儺が実は盗賊の首領で、仲間割れから指されて亡くなるが、円空が親方が残した財宝の一部を隠していると思われ盗賊から狙われたり、木彫りの仏像を彫ることを覚え中部の各地に仏を安置したりする。その後も巡錫しながらの作仏を続ける。ある商人の勧めで敦賀から蝦夷に行くことを薦められ、それに従う。船で津軽に渡ると、巡錫しながら仏を彫って各地に遺し、さらに蝦夷にわたり南部の地域を巡錫し、作仏する。その際、アイヌの実態など見聞したりもする。また津軽に戻ってから、関東を巡ったり、東海を巡ったりする。
修験者とは、正式の僧とは違い半俗の者になり、当時にあってはその辺の峻別ははっきりしたものがあったらしいが、円空の作仏などが幸いして、園城寺で天台宗の正式の僧侶にまでなったりする。その後も、各地の霊山などを修行したり、巡錫したりした。50を過ぎた元禄3年に、飛騨で円空は、以前誓願していた12万仏を作ることを達成する。そして誓願の際、生きたまま即身仏になるとも誓いを立てていたので、長良川河畔で、竹の空気穴をとおした座棺に入って埋められ入定してしまう。
私は、こういう無私の人には、惹かれるところがある(私だけでもなかろうと思う)。特に、あの何とも言えぬ趣のある仏像を作った人物となると、憧れのようなものさえ感じるが、とても同じような人生は歩めそうにはない。実際同じような状況に一歩でも踏み込めば、逃げてしまうだろう。私のような凡人は、円空の仏像を見たり、この作品のような本で彼のことを知るなりして、鑑賞するぐらいがいいところである。(彫像など真似事を、ちょびっとやってみたい気はあるが・・・)
皆さんも、とても彼・円空の真似はできないが、彼の作品だけでなく、彼の足跡や人生をもっと知りたいとか、興味があるという人は、この本は別に仏教の教えを説いている本ではありませんから、敬遠せずに一度読んでみることをお勧めします。