葉室氏の架空の藩を舞台とした「豊後羽根藩シリーズ」の第3弾だ。
といっても第1弾と第2弾との関係のように、豊後羽根藩を舞台にしているが、この第3弾も、前作、前々作とはあまり共通する登場人物はいない。
前作と関係している人物となると、元家老の飯沢長左衛門と播磨屋(といっても前作の息子のようだ)位で、播磨屋が買い占めた土地の事などで多少前作と関わるが、知らなくても全然問題ない。
今回の主人公は、話が始まる時点の十五年前に、ちょうど現在の藩主・三浦兼清が婿養子と迎えられてから始めてお国入りする際に、他国からこの藩へやってきた多聞隼人という武士。
財政難にあえぐ羽根藩であったが、彼はじきに士官が叶い、そののち出世し、御勝手方総元締に任じられ、年貢の取り立てなど厳しくおこなったために‘鬼隼人’と恐れられた怨まれていた。
隼人が農民にこのような苛斂誅求を強いるような原因は財政難のためであったが、その一因は藩主を名君と成すための、領民家中に激烈な痛みを伴う改革を断行したためであった。
そんな中、誰も成し得なかった黒菱沼の干拓の命が、隼人に下る。彼は家老に就くことを条件に受諾する。しかしこれは他国から来て出世した隼人を面白く思わぬ家老などが、隼人を追い落とすための一手であった。下手すれば一揆さえも招きかねない難事業である。
彼は、干拓工事の名手であるが<人食い>と呼ばれる大庄屋・佐野七右衛門と、学者で以前干拓事業の図面を書いて功があったが事件を起こして獄中にあった<大蛇(おろち)>と忌み嫌われる千々岩臥雲を招集し、難工事に着手する。
しかし隼人を陥れようする者たちは、困窮を招いてい原因は隼人の施政にあるかのごとく百姓を唆(そそのか)し、一揆を裏で煽って、隼人の失脚を狙うのであった。....
本を読んでいくうちに、多聞隼人がどういう気持ちで、仕官し出世し、"鬼"と呼ばれることを甘受し、藩主に仕えていたのか次第にわかる。
民衆のためを思えばこそ、怨嗟を買いながらも、黒菱沼の干拓が出来れば民のためになると鬼になり命をかけて事業を進める。
本来は藩主をはじめ他の者らが招いた財政難であるのに、怨嗟を隼人に向けさせていたのだ。
この小説の中に出てくる白木立斎のごとき、民衆には耳触りのいい綺麗事をいいながら、自らは何もせず事業の渦中の者を誹謗ばかりするものは、いつの世でもいるが、隼人はこういう者らに一矢を報いたかったのであろう。
隼人は、武士でありながら、何もつくらず農民に苛性を強いる武士のあり方に批判的で、後半からは藩主に対する不遜な言葉さえ何度か出てくる。
まあネタバレになるからあまりこれ以上書けないが、隼人がとった行動があの江戸時代、本当にとれたかといえば疑問だが、そこはフィクション。
作者も、いつの世でもみかける、つまり現代でももみかけるこのような怪(け)しからぬ状況を、豊後羽根藩の危難の物語に仮託して、描いて見せて読者に問うたのではなかろうか。
多聞隼人のような厳しいまでの生き方は難しいが、本当の正義とは何か、色々考えさせられる作品であった。
お薦めの一冊です。