歴史上の人物の中で、伊能忠敬は結構好きで、伝記では、井上ひさし氏『四千万歩の男』、童門冬ニ氏『伊能忠敬』、小島一仁氏『伊能忠敬』、渡邊一郎氏『幕府天文方御用 伊能測量隊まかり通る』など読んでいる。
彼は、私が住むここ七尾も2度通過し能登半島を測量、私の近所に2度宿泊した記録も残っている。
内容を詳しく紹介しても悪くはないのだが、個人的には以前自分のブログなどで紹介した事もあり(ここでは初めてだが)、それらと重複するので、あまり力が入らない。
この本が、私が以前読んだ他の伊能忠敬ものと違う特徴的なものを述べるとすると、著者が東大や慶応などで科学史や数学の教鞭をとっていた人物だけに、関心がそこに向くのだろう、天文学から地図に繋がる経緯の話を分かり易く書いていることかなと思う。
(ただし理科系に弱くても全然問題はない。そんな難しい話はほとんど出てこない)
天文学は紀元前から始り、ギリシャ人などは古代から地球の円周などをかなりの精度で計算したりしていた事は皆さんご存知の通り。天文学は日本へは中国を通して入ってきたが、陰陽道関係の占星術に主に関心が向けられ、当初は、中国のように暦学には関心が全く払われず、近世(江戸時代)になってから、やっと天文学の中の暦学に注目が浴びるようになる。
伊能忠敬が高橋至時を師と仰いだのは、江戸以降ようやく暦学が盛んになり、高橋至時が幕府天文方(この当時(18世紀末)日本独自の暦作成のための江戸に出来た天体観測所のような施設)のトップとして就任したばかりの頃である。
伊能忠敬が弟子として高橋の下につくことにより、それまで天文方も暦学のための研究ばかりに力が入れられていたのが変化する。
単なる暦学の天文学的研究から、(赤道上の)子午線一度分の長さはどれだけか、といった関心から始まり、そこから正確な地図をつくる(各地の地点を定める)必要があり、忠敬の地図製作が始まるに至った経緯が分かり易く書かれている。
この本における伊能忠敬の隠居前の話は、童門冬二氏や小島一仁氏の伝記とあまり変わらない程度のような気がする。
また今まで読んだ伊能忠敬ものの本の中では(童門氏や小島氏の本以上に)一番コンパクトな上に読み易く、入門書としてはオススメである。
実際、一晩で(昨日の6時以降から読み始め、日付が変わって少し過ぎた頃に読了)何とか読めた。
伊能忠敬の業績などを一通りざっと知るには、いい本ではないかと思う。
ところで私は現在52歳。
伊能忠敬が稼業を引退してから、幕府天文方・高橋至時から天文学を学びはじめたのは50歳、測量旅行に出始めたのは55歳という。
勿論、この伝記を読めばわかるが、彼は子供の頃から非常に聡明(相当な神童)で、高等な和算(数学)も隠居前から身につけていたようだから、必ずしも50歳から始めた勉強とはいえないかもしれない。でも凄いと思う。
私は、子供の頃からずっと、偉人や天才たちと比較して、自分を鼓舞してきた。
例えば私が20歳を過ぎて少し焦っていた頃、キュリー夫人伝を読み、彼女が若い頃はまず彼女自身が稼いで妹の学費を出して援助し卒業させ、キュリー夫人自身は25歳になってから大学に進んだ話など読んだ。そして、まだまだ自分の才能に諦める必要はない、今でも遅くないと自分に言い聞かせ励ましてきた。
その後も遅咲きの偉人など見つけては、同様に自分を励ましてきた。
勿論、天才にはとても及ばないが、自分の才能はコツコツやれる根気(持続力)だと考え、死ぬ間際までコツコツ頑張って、悟りのような心境に達せられるよう頑張ってみようと考えている。
ところで伊能忠敬の蝦夷地測量に関連して、普通、間宮林蔵や近藤重蔵などが必ずといっていいほど登場する。
最後に、参考にこの二人に関する小説も、あげて終としたい。
間宮林蔵では、吉村昭『間宮林蔵』、乾浩『北夷の海』、北方謙三『林蔵の貌(かお)』
近藤重蔵では逢坂剛の『重蔵始末』シリーズの蝦夷編。
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