やっと最終巻を読了した。
諸葛孔明が亡くなる五丈原の戦いを含めた2回の雍州攻めの話が中心だ。
前巻でも雍州攻めをするが街亭の地での馬謖のミスで撤退せざるを得なくなり撤退している。
この最終巻の、2回の雍州攻めの話を簡単に下に記す。
今回の攻略は、前回の雍州からあまり時間が経っていないので、糧秣のの搬送が重要な鍵であった。
事前の斥候の調査で祁山に大量の糧秣があるということで、糧秣の蔵があった祁山の城を奪取し、魏軍と対峙した。
魏軍の司馬懿は蜀軍(十数万)を遥かに超える35万もの軍の規模であったが、精強を誇る蜀軍と孔明を恐れ徹底して守りに徹する。長雨で糧秣搬送が上手くいかない蜀軍は、少数ながらも優勢に立っていたが結局撤退を余儀なくされる。
孔明はこの戦いの後、国内の国力回復のために数々の施策を不眠不休のような忙しさの中で行い、何とか短時間で再度の雍州攻めに漕ぎ着ける。
雍州攻めにこだわるのは、ここを落とせば、ここより西にある涼州は自然と蜀につかざるを得なくなり、雍州・涼州を得れば、魏軍の勢力と拮抗できるからであった。魏軍に比べ少数の蜀軍がここまでやれたのである。兵数など国力的に拮抗すれば孔明の指揮をもってすれば魏を併呑することも無理ではなかった。
さて次の雍州侵攻戦でも、両軍は同数程度の兵数で対峙する。
魏軍は五丈原のあたりで徹底して守備に徹するが、五丈原より西の雍州を蜀軍が攻略しさらには長安に疾駆するような動きを見せたので、司馬懿も動かざるをえなくなり出軍するが、蜀軍に翻弄され、また元の陣地に戻り守りを固める。
そして諸葛孔明が過労が祟ってか先陣で病没する。
この際、普通の三国志では有名な故事にもなっている「死せる孔明生ける仲達を走らす」のシーンが出てくるのだが、この北方さん、最後まで有名シーンを描くのを避けるのに拘り、やはり出てこない。
私としては不満である。
北方三国志、普通の三国志とは違い、どうも私には重苦しく、なかなか読み進めることが出来なかった。もうあまり感想を書く気さえ起こらない。
という訳で、この本の紹介はこの辺でやめておく。
不満気に書いた紹介文だけに、読む人も面白くなかっただろう。
こんなつまらない文章ここまで読んでくださった方、どうも有難うございました。また失礼しました。
m(_"_)m
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