<百字紹介文>
毎年毎年世界のどこかあちこちで繰返されるオオスズメバチの巣をめぐるドラマ。巣を帝国に見立て、女王蜂に戦士として忠誠を尽くして一生を全うするマリアという蜂を主人公に、その生態・生き様を見事に小説化した。
<詳しい紹介文>
先日、百田氏の『海賊と呼ばれた男』に非常に感銘を受けたので、ちょっと他の作品も読んでみようと思った。本当は『永遠の0』『錨をあげよ』『プリズム』のどれかをを読みたかった。がそれらを(図書館で探したが)貸し出し中らしく、代りにこれを読んでみた。
今回の作品は、前回の『海賊と・・・』と全く毛色が違う作品だった。
オオスズメバチ(学名ヴェスパ・マンダリア)というススメバチ亜科最大のスズメバチの‘疾風のマリア’とあだ名されるワーカー(働き蜂)のメス蜂を主人公にした作品だ。
つまり蜂を擬人化し主人公にした小説だ。
こういう小説を読んだのは、20代の頃読んだ『カモメのジョナサン』以来かもしれない。それ以前となると少年期、幼年期の絵本ぐらいしか思い出せない。
ではファンタジーっぽい内容かと思うかもしれないが、そうではない。
このオオスズメバチという地上最強の蜂の生態を、詳しく勉強し、それを取り入れた作品だ。さらに詳しく言えば、一匹のアストリッドという名の嬢王蜂が築いた巣を1つの帝国とみなして、スズメバチの巣をめぐる1年の歴史を、スズメバチの視点から描いている。
主人公のマリアはその巣で晩夏に生れた。幼虫の餌を探すハンターとしてのワーカー(働き蜂)である。ハンターつまり戦士である。
戦士の蜂がメスと聞くと、不思議な気がする人もいるかもしれないが、蜂や蟻の仲間は、この本にも出てくるが、嬢王蜂以外のワーカーの蜂はほとんどがメスである。戦士である蜂も同様である。オスは、繁殖期に(女王蜂となる)メスと交尾するくらいの役目しか与えられない。
そうでない時期に生れたオスは、別に巣の運営に関わる仕事をするでもなく、ぶらぶらするだけの存在なのである。
ところで、この本には、蜂や蟻の性は、普通の動物などとは違い、細胞の核の中に性染色体は存在せず、性を決定するのは性複対立遺伝子だという。
性複対立遺伝子がヘテロ(異なる組合せ)の関係にあるときにメスとなるので、2種類のゲノムを持った受精卵から生まれる個体はメスとなる。
一方、1種類のゲノムしか持たない無精卵の場合は、生まれる個体はメスとなるという。
つまり簡単にいうと、普通女王蜂しか産まないから(他のメス蜂も本来は生殖機能を持つが、女王蜂の出すフェロモンでその機能は抑えられる)、無精卵の場合はオス、受精卵の場合はメスが生まれる。
また蜂や蟻などが、(血縁関係があるとはいえ)自分の子供でもない女王蜂の子を育てるという利他的とも思われる行動をとることもウイリアム=ドナルド=ハミルトンの「血縁選択説」によって正しく説明されている。
ハミルトン説の概要はそう難しい理論でもないが、それでも分かるように書くとなると字数をかなり費やしそうである。またここに書くと興味が削がれそうなので省く。
以前、リチャード=ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んだことがあるが、今パラパラとその本をめくってみると、色んなところでハミルトンの説が出てくる。
ドーキンスのあの名著は、ハミルトンの「血縁選択説」を発展、(あらゆる生物に打倒する理論として)普遍化したものである。そういう意味では、ハミルトンなくしてドーキンスのあの名著はなかったといえるかもしれない。
その他にも、スズメバチの世界的権威がある日本人や、長年スズメバチの生体を研究してきた方の成果もふんだんに盛り込まれている。だから子供の頃に読んだファーブル昆虫記でも読んでいるような楽しさも十分に味わえる本である。
小説のテーマとしては、必ずしも楽しい内容ではないかもしれない。オオスズメバチの巣の幼虫らの餌を獲得するための戦士として生れた主人公のマリアが、最初は自分の運命に疑問を感じることもなく、女王蜂に忠誠を尽くして働く。
しかし時間が経つにつれ、先輩の蜂たちや他の昆虫らとの対話などから、自分の子供も産まずただ女王に忠誠を尽くして女王の子らを育てる意味を、自分の生にはどんな意味があるか等を深く考えるようになっていく。
結局運命を受け入れ、彼女の生を全うするわけである。
羽化してからたった数週間という短い生を燃焼つくすオオスズメバチのワーカーたちの一生や、1年で終焉を迎える女王蜂を中心とした巣(帝国)の歴史を、生物学的な基礎的知識を十分踏まえながら、ドラマとして描いてみせた著者の筆力に脱帽である。
私たちの知らないところで毎年繰り返されるドラマであるが、これからは我が家の畑や野山で出会う蜂たちに、今まではとは違った目を向けそうである。
多くの人にお薦めしたい一冊である。
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