<百字紹介文>
英米領事館があり、外国人が多く住む長崎で徹底的に秘密裏に建造された戦艦武蔵。途中巨艦の意義が失われて行く中、それでも不沈艦の神話的象徴として建造。その壮絶な最期を遂げるまでの姿を克明に描いた記録文学。
<詳しい紹介文>
前記事に続き吉村昭氏の本を採り上げる。戦艦大和と代表する旧日本帝国海軍の戦艦・武蔵の建造から壮絶な終焉までを克明に描いた記録文学である。
いつものように粗筋から書く。
冒頭、日本全国から棕櫚(しゅろ)の繊維が消えるという話から始まる。昭和12年の春、最初は九州一帯から始まり、その後日本全国で同じ現象が見られたという。
事情が分らない漁業界では、悪質な大量買占めと思われたが、実はその裏で戦艦武蔵の製造と深く関わっていることが、本の中で明らかになっていく。
ネタをばらせば、その大量の棕櫚は、戦艦武蔵を建造することになった三菱重工株式会社長崎造船所が、何を造っているか外部から見られないよう、覆いの目的で集荷され市場から消えたのだった。棕櫚を編んで簾(すだれ)とし、武蔵を造る第2船台の周りのガントリークレーンなどを利用して、その簾を垂らして、建造中の艦艇を隠そうというのだ。
この長崎の町には、英米の領事館があり、その領事館の場所はこの造船所と海を挟んで真向かいの大浦の高台にあり、何も処置しなければ、簡単にその概要を把握することが可能となるのであった。
この武蔵を着工しはじめた頃はまだロンドンの軍縮条約を締結中で、国際連盟も脱退していなかった。また国際連盟を脱退しても国交断絶にでもならない限り、領事館の撤退はなく、出て行ってくれともいえぬ。そのようなことを言えばあからさまに長崎造船所で何か重大な艦艇を造り始めている事が察知されてしまう訳だ。
今考えると、よくもそんな場所で秘密裏に戦艦武蔵を建造することができたたものと思う。またその程度の覆いでよくも英米にばれなかったなあと、今思うと不思議でもある。
ところで、これまで何度も戦艦武蔵と連呼してきたが、この本によると、その艦艇名「武蔵」さえも、建造後しばらくの間迄は、ほとんどの者が名さえも知らず、第2号艦とだけずっと呼んでいたらしい(第1号艦は、広島の呉海軍工廠で造られていた後の戦艦大和)。
造船所で働くものは、皆身内をしっかり調べ上げられ、その上秘密保持に関する宣誓書を取られていた。設計図は大和と同じで、鋼板など主な材料は呉海軍工廠から持ち込まれ、あとは八幡製鉄所などから運ばれたようだ。
この設計図は、敵国スパイに渡ったら、大問題になると徹底的な管理が行われる。重要な基本的な図面は一切持ち出し禁止で、作業が終わると金網で厳重に囲われた設計図の保管質に返却。その部屋の人の出入りも、たとえトイレなどの小用であっても、出入りの度に厳しくチェックするという徹底さだった。
それでも一度図面紛失事件が起き、大騒動になる。図面管理の主な関係者が責任を問われ拘束、まるで犯罪者のように執拗な取調べを受けた。結局、図面管理のために雇われた若い男による、仕事への不満から短慮で起こされた図面焼却による紛失と分る。事件は解決したが、その後も余波が残り、工期が遅れ気味になる。
が年が経つにつれ、時代は次第に世界大戦突入に向けて悪化を辿る。国際連盟も脱退し、日独伊三国同盟も締結。そういう中にあって日本だけヨーロッパとは関係なくいる訳にもいかず、世界大戦の中に巻き込まれるのは濃厚となる。
海軍は、日本と米英との間の開戦を見越して、納期短縮を急がせる。長崎造船所では、朝8時から夜の11時頃まで作業したり(時には徹夜作業で)竣工を急ぐ。
そして昭和16年3月に何とか進水。その後、大砲他武器などの偽装を終えて、瀬戸内海近海などで訓練を行った後、南洋の基地に向けて出航していく・・…。
このあと、本の中では、フィリピン沖などでの数度の戦いで、戦艦武蔵が時には魚雷を受けても何とか切り抜け横須賀港まで回航して修理するが、その次の戦闘では、敵機の襲来を艦隊の中で集中的に受け、魚雷を多数受けてついに沈没する話も書かれている。
話はそれで終わらずに、さらに沈没した後、海から救出された兵たちも、その武蔵撃沈の秘報を隠すために、どのような処遇に遭ったかなども書かれており、戦争の非情さをあらためて感じさせられる。
解説でも述べていたが、吉村氏は、戦争というものの愚行さの現れの中に、それこそ人間の本質的なものを開示しているとでも言いたげな、人間というものを非常に醒めた目で視ている認識のようなものがあると思う。
戦争を、何かしらの想い・感慨を込めて見るような視点ではなく、人間の奇怪な営みを、客観的に即物的に捉えて、読者に提示する。
記録文学として読者に訴えるなら、下手に感情に訴えるよりこの方がはるかに効果的なような気がした。
やはり吉村昭氏の代表作の1つであることは間違いない。
お薦めの一冊です。
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