この本は、1971年という今から40年前に書かれた板坂元氏の本である。
今から2、30年ほど前、日本人論ブームが盛んなころ、私はその関係の本を色々買ってきて読んでいた。この本も同時期買ったものだが、読まずに本の片隅に押しやられていたのを今回読んだ。(よって実際には、写真の本ではなく、改訂前のものを読んだ)
最近、日本人論がマイブームなのだ。その関係のまだ読んでない本や、昔読んだ本をまた読みたいと思う心に時々駆られている。
この本は、日本人が日常無意識に使う日本語により、その日本語特有の構造などから、日本人独特の論理や価値感が形成されていることを分析したユニークな日本文化論である。
第1章の本文末尾には次のように本の主旨が書かれている。
「言葉は伝統や文化の所産であり、かつその一部分であるけれども、同時にわれわれの行動や思考は言葉を通して行われ、言葉によって逆に制約影響される面も非常に大きい。
われわれは思想や感情を通して表現するが、思想や感情、あるいは行動すらも多くの場合言葉によって制約され支配されるという鶏と卵のような関係が存在する。
重要な意思決定や価値判断の場合に、知らず知らずのうちに言葉によって決定されることがないでもない。
そういう点に視点をおいて、これから、いくつかの日本語をとり上げながら、日本語の底を流れる日本人の論理や心理をさぐって行くことにする。」
各章ごとに、日本人の論理構造を特有なものとしている言葉(類似語も含め)の使用例などを豊富に示し、それらの言葉の奥にある心理や論理を深く洞察し、日本人の論理構造や価値観の特徴等を鋭く指摘する。
私は“よくもこれだけ深く日本語の特徴をとらえたものだなあ”とその鋭い分析に驚嘆した。著者は、長年アメリカの大学で日本語や日本文学を教えていたらしい。
講義の中で生徒から意味が解し難い日本語や日本人の者の考え方・感性などについて質問されるたびに、講義をストップしてその事を生徒らと一緒に考えたという。
そういう事の積み重ねで出来た本らしい。
個人的には、土居健郎の『甘えの構造』や中根千根の『タテ社会の人間関係』などの日本人論と匹敵する文化論の名著ではないかと思った。
詳しい具体例など示すと長くなりそうなので、やめておくが、代わりに参考として、この本の目次を以下転記する。
第1章 芥川の言葉じゃないが
〈1〉タブー
〈2〉日本語の論理性
第2章 なまじ
〈1〉マイナスの可能性を持つ小さなプラス
〈2〉のっぺらぼうの物差し
第3章 いっそ・どうせ
〈1〉高い次元からの意思決定
〈2〉どうせ私は馬鹿なのよ
第4章 せめて
〈1〉精神的つぐない
〈2〉日本美の真髄と「せめて」
第5章 れる・られる
〈1〉自発を尊重する
〈2〉なるの論理
〈3〉れる・られるの変化
第6章 やはり・さすが
〈1〉感覚的レベルの選択
〈2〉さすがにニューヨークは
第7章 しみじみ
〈1〉触感から来た言葉
〈2〉身体性の言語
第8章 ところ
〈1〉鍵のない生活
〈2〉場所を尊重する
第9章 明日は試験があった
〈1〉体感的な時制
〈2〉断片をみて全体をみない
第10章 人情
〈1〉皮膚感覚の人間関係
〈2〉義理人情のプラスマイナス
第11章 何事のおはしますかは
〈1〉何かわからないが記録する
〈2〉日本の科学の限界
〝むすび〟にかえて
←ランキングに参加しています。