私は江戸時代諸藩の藩政改革を描いた歴史小説が結構好きで、そういう本を見つけるとすぐ読みたくなる性格だ。
ざっと思いだしたところを幾つかあげてみよう。
まず米沢藩の上杉鷹山。鷹山に関しては藤沢周平氏、童門冬二氏他多数読みおそらく十冊以上は読んでいる。他に信濃松代藩の恩田木工の『日暮硯』の訳本、薩摩藩(家老・調所笑左衛門の改革(佐藤雅美氏他数冊))、姫路藩(家老・河合道臣の改革)、大野藩(藩主・土井利忠と内山兄弟の活躍)、阿波徳島藩(藩主・蜂須賀重喜の藩政改革)、長州藩(村田清風の改革)、越前福井藩(横井小楠、三岡八郎などの活躍を描いたもの)。
これらと比べても、陽明学者・山田方谷の備中松山藩での改革は、私の中では相当上位にくる。藩政改革が成功した素晴らしさだけではない。藩内などのあちこちの学校で教えた教育者としての活動・業績も素晴らしい。勿論、藩主・板倉勝静(いたくらかつきよ)が、彼を全面的に支持し守ってくれた御蔭もある。藩主・勝静が幕府の老中になってからは、助言が幕府に受け入れられず、幕政ではあまり効果を発揮できなかったが、それは彼の能力の無さに帰すのは間違いだろう。
私は人格のすばらしさ、改革の方法や改革の困難さとその克服度のようなものでは、上杉鷹山と匹敵すると思う。
効果を挙げた藩政改革といっても、薩摩藩や恩田木工などは踏み倒しも行っているから(薩摩藩などは密貿易も手段の1つ)、あまり褒められたものではない。大野藩なども改革にあたった内山良休が、商工業の振興のために商人になりきった点などその徹底振りを考えると凄いのだが、人格的な面、教育的な面など、藩でいかに人々から敬われたかなど比較すると、山田方谷は図抜けているように思う。
他に横井小楠や村田清風、河合道臣、蜂須賀重喜なども凄いが、今私はこの山田方谷の本に酔いしれ、興奮しているのか、山田方谷という人物を知った喜びに浸っている状態だ。
ところで山田方谷という名は今までに何度か聞いたことはあったが、詳しい業績の話を読むのは今回が初めてだ。
この本は山田方谷の郷土(備中(岡山県))の「山田方谷に学ぶ会」に所属する方が、彼を顕彰するために作成した本である。2005年に山田方谷顕彰会が自費出版した「入門 山田方谷」に加筆修正し、あらためて全国に発信したとのこと。
「序文によせて」に「地元のごく一部の方谷ファンにのみ愛読される性質の本ではない」とあるが確かにそうである。またそれだけに方谷を顕彰しようという熱い息吹もこの本から伝わってくる。本の内容も非常にしっかりしている。方谷自身の年譜や方谷関連の図書の年譜など参考資料などもきっちりと分かり易く纏められている。
凄い!凄い!と思い興奮しているせいか、ここまで感想ばかりが先立ってしまった。
少し方谷の業績や思想などの内容も書いておこう。
前半で改革のことばかり書いてしまったが、山田方谷はこの本にも書いてあるように、基本的には教育者といえる。漢詩の多作という詩人的側面も持つ。
この本では方谷の改革が成功した理由をうまく纏めてある。引用しよう。
(1) 事の外に立って内の事に屈せず。
これは方谷の言葉で、「木を見て森をみず」にならないよう大局的に物事を見よという意味。改革の目的を藩財政の再建という小さなものではなく、「下方潤沢(領民を豊にする)」、「撫育(領民を幸せにする)」という大きなものに置いたことが成功の第一としている。
(2) 産業振興策を中心とした改革計画を策定し、効果的な経済政策を実行したこと。
計画の本質は「無用を節し、有用を豊にする」であった。不況の時は公共投資を増やし、金利を下げ、減税するという政策をケインズに先んずること百数十年前に実行した凄さもある。
(3) 率先垂範と人材登用
(4) 藩主から絶大な権限の付与
(5) 情報公開と藩の信頼回復
財政状況の情報公開や誠実な債務履行により、藩の信頼回復をしている。
(6) 改革期間が適当
(7) 地の利を活かす
(3)以降は、詳しい説明を省いたが、現代でも十分参考になる内容だと思う。
彼の言葉も名言が多い。
「至誠惻怛(誠意を尽くして人を思いやる心)」
「義を明らかにして利をはからず」
「事の外に立ちて事の内に屈せず」
「誠心より出ずれば敢えて多言を用いず」
「友に求めて足らざれば天下に求む 天下に求めて足らざれば古人に求めよ」
これ以外にもいい言葉は沢山あり、また言葉の意味をそれぞれ説明したいところだが、凡長にならないよう、自己に課している制限字数が近づいてきた。
まだ書きたい事は沢山ある。本当はもっともっと方谷の素晴らしさを伝えたい。
だがネタばれし過ぎて興味が薄れる事もあろう。この辺で我慢してやめておく。
できるだけ多くの日本人に読んでいただきたい一冊です。
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