下巻からは次第に盗賊の仲間に引き摺りこまれていく白銀屋与左衛門の姿が描かれている。
一方で、小笠原文次郎や鳥屋佐七の、地道な嘆願活動などが功を奏して、実成院(藩主・重教の母)の恩赦で大槻伝蔵(加賀騒動の中心人物で、6代藩主・前田吉徳のもとで異例の出世をした人物)の子の猪三郎の五箇山流刑が取りやめになったり、既に流刑になっていた長大夫や七之助にも縮小屋から抜け出ても咎めないという措置がとられる。
真如院(6代藩主・前田吉徳の側室で、大槻伝蔵との関係や八代重煕(しげひろ)暗殺の疑いをかけられ密殺された)の子らは結局皆死んでしまったが、猪三郎らへのその宥恕的措置は、小笠原文次郎らが諦めずに辛抱強く活動したことによって、得られた成果であった。
小笠原文次郎は、真如院付きの侍女・浅尾(真如院らと同様密殺)の子であり、佐七は大槻伝蔵の下で働き、伝蔵流刑後は密かに五箇山との間の連絡役をこなし、後に9年も入牢させられたという設定である。
彼らは最初のうちこそ怨みに燃えたが、その後、怨讐を超えて、罪もなく連座の刑で苦しんでいる真如院の子らや大槻伝蔵の子を救い出し、人並みな生活をしてもらうことに努力していたのだった。それがようやくではあるが少し実現しつつあった。
しかし与左衛門は、大槻伝蔵に仕えたことさえなかったのに、大槻伝蔵の子らが明確に無罪と認められた解放ではないので文次郎や佐七らのように喜ばない。
後に文次郎と佐七が、与左衛門の生まれ故郷である能登島曲村に出かけわかった事だが、与左衛門は、伯父の罪で連座の刑を受けた者の子であり、彼の従弟(伯父の嫡子)は、連座の刑を受け、4歳で死罪となっていたのであった。与左衛門が、大槻伝蔵の事件の処置に憤るのはその事件で連座の刑を受けた者の境遇が、自分の身内の境遇と重なり、許せないのであった。
やりきれない与左衛門は、博打・遊女屋・酒にハマっていき、困窮した生活を凌ぐため、盗賊の首領の罠にはまり、次第に悪の道に浸っていく訳である。
この本は、上巻から下巻までずっと、何か小説に漂う雰囲気重く、読んでいても辛くなるような本であった(読むのに時間がかかったのはそのせいもある)。
既刊を全部読んだ訳ではないが、諸田玲子さんの本の中では、一番重苦しい雰囲気が全体を覆う本ではなかろうか。お鳥見女房シリーズで、夫と息子の行方が不明となり、重苦しい雰囲気になる箇所もあったが、主人公が明るい性格のせいかこんなには重苦しくはなかった。
上巻では、真如院の子らや大槻伝蔵の子らを何とか救い出そうとするが、上手くいかず、重苦しくなったり、与左衛門と多美の夫婦の間が、少しずつ開いていく、重苦しさなど色々あった。
下巻では、与左衛門が、心の隙を盗賊一味に突かれ、ずるずると乱れた悪の道へハマっていき、夫婦間の関係も、次第にギクシャクしたものになっていく。小説もそれにつれてどんどん重苦しくなっていく。
読んでいて何と与左衛門は脇が甘いのであろうと思い、歯痒(はがゆ)くて仕方なかったが、小説である。人間は弱いものだ。(この小説上での)与左衛門の人物像をもう一度見直してみると、(諸田さんは意識していなかったかもしれないが)能登の人間によく見受ける姿を上手く描いていたようにも思う。自分も同じような状況では、脇が甘いかもしれない。
盗賊の棟梁の罠にハマって、武家に売られ、現行犯で捕まる与左衛門。身内に累が及ばぬよう拷問でも口を割らぬが、棟梁などの差し金で、白銀屋与左衛門とバレてしまう。そして妻の多美や子の当吉、多美の兄・前波忠隆なども処分が決まるまでお預けなどとなる。連座の刑で苦しんできた与左衛門だけに、自分の罪による妻子や縁者の連座は、彼をどん底に落とし込む。
そういう重ーい重ーい話が続く中、本来ならば大盗賊として喧伝される与左衛門の事件は情状酌量の余地など得られないのが普通だが、彼の妻・多美やその子・当吉の惨い連座の処置は何とか避けようと、文次郎や佐七が、嘆願活動を江戸と金沢で必死に行う。
そして最後には、この重苦しい状況を少し和らげてくれるような、粋な計らいが2,3なされ、読者をホッとさせてくれる。
最後の(内容はここでは明かせないが)救いが無ければ、読後は重苦しい気持ちで消耗し、ただ疲れてしまっていただろう。
読みとおすのは精神的にも辛い小説だが、悲哀が多いのも人生だ。こういう小説があって当然であろう。
諸田玲子氏の代表作の1つともなるのではないか。
お薦めの一冊です。
(この記事は、七尾市立田鶴浜図書館から借りてきた本を参考に書いています)
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