昭和49年元旦に第1版発行の古い本だ。本の表紙の裏に「謹呈」の紙が貼り付けてあり、著者から直々に貰った本らしい。私はこの本を親戚から入手した。
西敏明氏は、大正4年金沢生まれの方だ。まだ存命ならばかなりのご高齢となるはず。プロフィールを見ると、戦前、鉄道省を経て華北交通(中国)に勤務。終戦後は中国から引き上げ、一時国鉄勤務。昭和27年からMRO(北陸放送)に勤務。テレビ、ラジオの仕事に携わっていたようだ。また終戦後、「北国文化」「北陸文学」などに小説を幾つか発表したりしたとある。
この作品は、そんな作品の中の1つで代表作のような作品らしい。
ただ非常に残念な事なのだが、手元にある本は、後半196頁から所々印字が全くされていない頁が合計8頁ほどあった。大体の流れは、推測で判るのであるが、抜けた部分がやはり気になる。謹呈本なのに、出来損ないの本を渡すとは、かなりお粗末な話である。
さて内容だが、安政5年(1858)に加賀藩の城下町・金沢で飢民が起こした絶叫事件を材料にした歴史小説である。
実在の人物が、登場人物として多数出てくる。しかし詳細な史料はないので、かなり想像をめぐらして書いた部分が多いようだ。
例えば石川県では、昆元丹という薬を売っている老舗の薬剤商の中屋薬舗の主人・中屋彦右衛門が、金沢の町会所に3人いる御用番の町年寄の1人として出てきたり、黒羽織党がこの安政の飢民を政権抗争に利用しようと暗躍したりと…・。まあそれなりに面白く出来上がっていると思う。
しかし「飢民抄」などという言葉が、副題に出てくるが、私が今まで読んだ飢饉に関する本の中では、一番甘っちょろい感じで、飢饉とは云えない様な内容であった。
地獄のような困窮は出てこない。救恤米を出せとの要望書に対して、藩側の者から「いまだ誰も死んではいないではないか」との反論が出ているが、確かにそれほどの飢饉の話ではないようだ。
この本の内容ではないが、そもそも加賀藩の歴史を読むと、金沢の民は非常に優遇されていたことがわかる。大火や飢饉があると、他がどんなに困窮していようとも武士のみならず町民も含めた金沢の民のために、領内の他の地から米を集めろ、といった命令が何度も出ていることを知る。
米野菜などが不作の年など、金沢に限らず能登でも困窮に喘ぐのだが、能登を見殺しても、それこそ苛斂誅求といったやり方で米・野菜・魚などをむしりとり金沢に送っていたことがわかる。現在も、石川県政は金沢の為の石川県といった性格が非常に強いが、この傾向は加賀藩成立以来、ほとんど変わっていないのがよくわかる。
この小説に出てくる黒羽織党に関して。最近、石川県の某民放で採り上げ紹介されていた。そこではまるで勤皇の志士か何かのように美化して紹介していたが、ああいう大嘘はやめてもらいたいと思う。その点、この小説は、黒羽織党の陰湿な性格を見事に描いていたと思う。
この安政5年の事件では、実際には黒羽織党が関与していた記録は何も無いようだが、黒羽織党に関する史料など読むと、虫唾が走るほど嫌な連中であったことがわかる。それを加賀藩の改革者の集まりであるかのように民放が描くのは、いくら金沢にある民放とはいえ、歴史の改竄以外の何物でもない。
金沢市民には、加賀藩を美化したいのもわかるが、その加賀百万石文化の犠牲になり、金沢以外のいかに多くの民草が虐げられ困窮に喘いだか、理解してもらいたいものだ。それが判らないで今のような改竄を平気でやるような状態が続くうちは、例えば金沢が如何に周囲の市町村を合併したくとも、自己中心的な態度を嫌悪している周囲の町は諾と云わないであろう。
私が思うに、よっぽど加賀騒動の悪役として非難される大槻伝蔵の方が立派な人物である。
この小説は、あとがきで小説の内容と史料に書かれた内容など、詳しく説明されている。よって史実とフィクションがかなり明確に分けられる。それゆえ石川県民には、幕末の加賀藩を知る格好の本といえる。
(なかなか入手は難しいですが、もし手にすることができれば)石川県民または石川県出身者には、お薦めの一冊です。
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