by une_genzaburo
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さて今回はサルトルであるが、なかなか難しい。実存主義というだけにキルケゴールとも思想的に似た面もあれば、かなり違う点も多々ある。 と言ってもどこがどう違うか、私のような初心者には比較説明はちょっと難しい。サルトルの言葉や著者の文章を引用したりして、出来る限り紹介するつもりだ。だが拙いものになろう。あしからず。 サルトルは、実存主義の立場に立つ。キルケゴール、フッサール(の現象学)、ハイデガー(の実存主義)などから影響を受けているという。 ハイデガーは言う。一人の人間としての私は、デカルトやヒュームと違い世界の客観的な観察者ではない。自分は世界の真っ只中におり、この世で確実なものとは、「私」の「現存在(ダーザイン)」だという。が、そのハイデガーの哲学は、デカルトの哲学と同様に、思考や思惟を何より優先させ、その「存在」の概念は、分析的なものだった。 サルトルは、ハイデガーの深い分析を単なる思想から行動に移すことこそ、自分の仕事だと考える。そこでキルケゴールの実存主義まで戻り、人間の主体的な生活、一人ひとりの人間の選択や行動を主題化し、そこから考察を始める。 サルトルの主著に『存在と無』がある。この表題は、人間の意識(欠如状態、無)と物事(存在)との違いを示しているという。 本の中で彼は次のように言う。「意識は・・…全く空虚なものである。何しろ、世界は全て、意識の外にあるのだから」 彼によると、意識は物質世界の外にあるので、機械論的な決定論の領域外でもある。よって意識は自由だということにもなる。ここでハイデガーの「存在」との相違が出る。サルトルにとっての「存在」とは、人間の意識的な存在で、世界についての自覚を組織化できる存在のことになる。この時の意識は必ず「ある何ものかについての」意識となる。 サルトルの「存在」に対する関心は、ハイデガーと異なり存在の本性に注がれるのではない。彼は存在の二通りのあり方に目を向けていく。この2つを彼は「即自存在(自分自身のもとにある存在)」と「対自存在(自分自身と向かい合っている存在)」として区別する。意識を欠いているものを全て即自存在に数え入れられている。対自存在に数えられているのは、意識である。事物の世界の因果律から自由な意識こそ、対自存在に他ならない。 一見デカルトの考え「我思う、ゆえに我あり」の考えと似ているが、サルトルの意識は知恵を生み出す思考回路ではない。彼は次のように言う。「純粋な認識の営みなどという考えは矛盾している。認識の営みは常に、何か特定のものに関与している」 対自存在は、つまり意識は、一定の目的に即した近くであり、何かを選択し行為するものなのである。サルトルの言葉を用いれば「意識は欲望としてあるのであって、自分自身を選択する」。分かり易く言えば、意識は選択や決断ということを通じて、自分自身を創造していくという。 サルトルの生きた時代は、2つの大戦を挟んだ時期であり、彼も戦争に駆り出されるが、彼にとっての敵は、相手国ではなく、別なところにあったという。それは与えられた環境や現状をそのまま受け入れ、群集に同調し、自分で選択を行なわないこと。言い換えれば、「他者」つまり自分自身の意識とは違うものを認めることこそ、適だと言う。奇妙で不条理な考えであり、独我論的でさえある。 人間が自分が何をするか選ぶ際、自分がしていることを充分自覚していなければならない。そして自分がしていることに対する完全な責任を負わなければならない。人間は自分の意識を増大させえることを求めるべきである。自己意識を高め、自分の境遇を深く自覚すべきでなのである。また境遇や行為に対する責任を引き受けるとともに、そうした行為によって創造される自分に対する責任もまっとうされなければならない。 だが、究極の善や究極の悪、究極の価値がなければ、人間の価値が別の価値よりも本質的に優っていることなどありえない。だから全ての価値が実は同じ価値しか持っていない。よって彼によれば、1つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているということになる。 しかしここから「何をしてもいい」という気ままな自由主義とは反対のものが生まれることになる。人々は、自分で選択を行うたびに、自分自身を創造していくだけでなく、選択が行われるたびに、1つのまとまった道徳が伴うことになる。 ここで自己欺瞞が問題となる。自己欺瞞とは自分を欺くことだが、人生に意味や論理的な統一性を与えることで、人生や人間のあり方を合理化しようとする場合、これが現れるという。彼によると、このような自己欺瞞の中で行動することは、自分の行為に対する責任をまっとうせず、責任を外的な影響になすりつけることになる。 この本では、書かれていないが、私はヨーロッパ的な個人主義が色濃く出た思想だと思った。 自己欺瞞以外に、彼の実存主義でんもう一つ重要な概念は、「実存(存在)は本質に先立つ」があるという。しかしもうそろそろ自己規制の目途としている制限字数に至ってしまった。この辺でやめておく。知りたければ、後は自分で読んで調べて欲しい。 興味ある哲学ではある。下手な要約文で分かりにくかったろう。 でもこの本でなければ(と言っても理解不足による、誤った説明も多々あったかもしれぬ)、難解なサルトルの哲学を、哲学初心者の私がこのように纏めることは不可能であったろう。 お薦めの一冊です。 ←ランキングに参加しています
by une_genzaburo
| 2009-09-16 21:29
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